今日は俳句を少し離れて昔話を…。



先日のことである。未明に我が家の前の通りを消防自動車がサイレンを鳴らし走って行った。


ウゥ~…カンカンカンカン…


その音に自分は20数年前の未明に起きた出来事を思い出した。その日はとても空気が乾燥していて、寒さもひとしおだった。夜中、寒さに目が覚めてトイレに行こうかどうしようかと布団の中でまどろんでいると、自室の扉の隙間から煌々と光が入ってきた。同時に隣の兄の部屋からバタバタと物音がしている。咄嗟に火事だと思った自分の判断は正しかった。兄は階下に降りバケツに水を汲んでは炎の燃え盛る布団にかけた。父も弟も飛び起きて自分も含めバケツ・リレーを始めた。そして、どうやら火を消し止めて階下の居間に集まった。

出火はどうやら電気ストーブの過熱であった。兄の説明によると、付近に布団の端があったため、そこに火が飛んだのらしかった。とりあえずほっとしていると、居間の天井がめらめらと燃え出した。消したと思った火は、すでに2階の床下に潜っていたのである。慌てて階上に上がってみると、兄の部屋は炎に包まれ金色に輝いていた。

もう駄目だ!父が慌てて119番通報し消防車を呼んだ。

火事だ!皆、外に出なさい!父が叫び、母も兄弟も外に出て近所に出火のことをふれ回った。

すいません!火事です!起きて下さい!


私はというと、その早朝仕事に出るため家の前に車を停めていたこともあり、消防車が玄関前に横付けできるよう自分のワゴンを移動しようと思った。


あ、鍵がない!部屋だ!

慌てて家に戻り階段を駆け上がった。兄の部屋に発した炎は、自室との壁を破り始めていた。


鍵・・・鍵…

私は煙に巻かれながら車の鍵を探した。

確か上着のポケットに入れてたはず…。

だが、上着が見つからない…。それもその筈である。ハンガーで壁に掛けておいた服はとうに燃えていたからだ。


私は諦め部屋を出ようとしたが、もう退路は断たれていた。燃え盛る火の炎熱で窓ガラスが、パリーン、パリーンと割れ始めた。煙がもうもうと襲い掛かってきて息ができない。火事のとき、大抵の場合、炎に包まれて焼かれるよりも、煙に巻かれて呼吸できなくなって死ぬのだそうだ。そんな話を思い出した。…そう、今まさに自分の置かれている状況である。

…人の命ってあっけないな…。

覚悟を半分ほど決めかけていた。そこへ誰やらの声が聞こえてきた。


お~い!大丈夫か?飛び降りられるか?


裏窓の先の隣家の小父さんが呼ばわっている。


飛び降りるのはわけないよ。しょっちゅう家を抜け出して深夜徘徊してたからね…。


心の中で答えた。


ただ、ただで飛び降りるのはもったいない…。そう、誰だっけか…ロックンローラーみたく大舞台から飛び降りてみたい。窓際には、ベースギターを立てかけていた。こいつを担いで飛び降りよう。


しゃにむにベースギターを掴むと割れた窓ガラスのサッシを開き、2階の窓から飛び降りた。


グワ~ン!べキッ!


ベースを支えきれずに、叩きつけるような格好になって着地した。

見事にベースは壊れていた。


裏の家の小父さんが駆け寄って、なんて無茶なことを…!と怒鳴った。

それでも自分はかすり傷ひとつなくピンピンしていた。手首だけが痛んだ。ベースを叩き付けたその震動が手首に残ったからだ。


そんな中、燃え盛る炎はいよいよ天井を突き抜けて夜空を焦がした。

火の粉が舞い上がる。その中を隣家の庭を抜け、表へと回った。


ウゥ~…カンカンカンカン…


消防車がやって来る音が遠くに聞こえ出した。


夜空に立ち上る炎と舞う火の粉…。

左隣家の奥さんが狂気の叫び声を上げている。


キャーァァァッ…火が…火が…


夜空に燃え上がる炎…女の悲鳴…


自分はふと三島由紀夫の「金閣寺」の一節を思い出していた。

そして天をも焦がさんばかりの炎を見上げつつ…美しいと思ったのだった。



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その後、自分はどうしたかというと、父の代わりに会社へと行き、関係各所にお詫びと連絡の電話をかけた。

一通りのことを終えて帰ってみると、家は既に鎮火され駆け付けてくれた人々により掃除が始まっていた。

呆然と立ち尽くしてそれを見ている自分の後ろで母の声がした。


お前の、あの薄気味悪い絵や、変なレコードが全部燃えてしまって良かったよ。

これはきっと罰があたったんだろうね。


階下の床に崩れ落ちた灰の中に見たものは、天井裏に隠し持っていたレコード盤のジャケットの燃え滓、サイケデリックな志向を凝らした絵の灰がわずかにその残像だけを残している様だった。

…母よ、あなたはこの仕打ち―罰―の理由付けをどうにかしてつけたかったのかも知れない。

あなたはもうこの世を去っていないが、自分の心の底には、あの日の、あの言葉の炎がまだくすぶっているのだよ。


未明に鳴る消防車のサイレンと警鐘の音は、今もあの日の記憶を呼び覚ます。

…お前は何のために生き延びたのか?と…。





さて、空気が乾燥しているこの時期…火元にはご注意下さい。

戸締り用心。火の用心。





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