歌留多(新年) 歌がるた・花がるた・いろはがるた・トランプ


歳時記を見ると、「屋内の正月の遊びのひとつ。歌留多取りは男女入りまじっての遊びで、おもに藤原定家撰と伝えられる『小倉百人一首』の歌がるたを用いる」と定義されている。

この歌留多、そもそもの始まりは、平安時代の「貝合せ」である。360個の蛤の貝殻を左右に分け、左貝(地貝)のすべてを甲にして並べ、右貝(出貝)を一つずつ出し、これと合う地貝を多く取った者を勝とする競技だったそうだ。―なんとも気の遠くなりそうな遊戯である。

後に合わせる便宜上、貝の裏に歌の上句・下句を書いたという。


今ぞ知る二見の浦の蛤を貝合せとて覆ふなりけり


と、西行法師「山家集」に詠んでいる。



「歌留多」という語の起源は、ポルトガル語、スペイン語のCartaから来ている。

最初にポルトガルから輸入されたのは「天正かるた」で、ハウ(青い棍棒)・イス(赤い剣)・オール(金貨)・コップの4種12枚からなり、トランプと同じ遊び方だったようである。

後に歌留多は日本化され、博打に使われるようになる。そして、いろいろな「歌がるた」が出来上がり、その中で「小倉百人一首」だけが民衆に愛されるようになっていったそうだ。江戸時代になり、この変形の「花がるた(花札)」、子供の遊ぶ「いろはがるた」のようなものが作られていった…といのが、大まかな歌留多の歴史だ。


ともかく歌留多、老若男女に愛される室内の遊びとして今日まで伝わっている。しかしながら、昨今の若い世代に

この文化が廃れつつあるのは少々悲しい。

蛇足ではあるが、尾崎紅葉「金色夜叉」、お宮と富山の出会ったのは「かるた会」である。明治の御世の「かるた会」…ちょっとした社交の場だったようですぞ。。。


   

座を挙げて恋ほのめくや歌かるた   高浜虚子


歌留多読む恋はをみなのいのちにて 野見山朱鳥


封切れば溢れんとするかるたかな   松藤夏山


ちょっと色めき立ちますな。。。




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