さて、子規いろはかるたも今回で最終回。
無事に京の都へ辿り着きます。
み 水草の 花まだ白し 秋の風 明治28年 秋
この句の前書きに「道後公園」とあります。この年の九月、友人柳原極堂やなぎはらぎょくどうと共に道後を散策したときの句です。この公園は十四世紀に河野氏によって築城された湯月城のあった跡で、明治21年に、県立道後公園となり、たくさんの桜が植えられ、今は動物園もあり、一茶や芭蕉の句碑、子規の歌碑も建っていて、市民の憩いの場となっています。
こうぼう し いっせんねん
し しぐるるや 弘法死して 一千年 明治25年 冬
前書きに「石手寺」とあります。石手寺は松山市の東、道後温泉のすぐ近くにあります。弘法大師ゆかりのお寺で、四国霊場五十一番札所として、遍路や一般の参詣者でにぎわっています。境内には、芭蕉、与謝野晶子、子規などの十にあまる文学碑が建っています。句の「しぐるる」は、時雨(初冬の冷たい雨)が降るという意味です。
え なつ なになに
ゑ ゑがくべき 夏のくだもの 何々ぞ 明治35年 夏
晩年の子規にとって、絵を書くことは大きななぐさめでした。この句の明治35年の夏、病気はますます悪化して、寝返りさえ自由にできず、高い熱と激しい痛みに苦しむ毎日でした。モルヒネという強い痛み止めの薬を飲んでは、枕元の草花や、野菜やくだものを写生して、自らをなぐさめたのです。「画き終えて昼寝もできぬ疲れかな」これも同時期の作。
ひとはこ ふゆ
ひ 一箱の りんごゆゆしや 冬ごもり 明治31年 冬
冬ごもりは、寒い冬になって、ほとんど外に出ずに、家に閉じこもってしまうこと、とくに子規は病気のため自由に外出することができませんから、文字通り冬ごもりといった感じです。そんなゆううつな気分をぱっと明るくしてくれたのが、北国の知人から送られた一箱のりんごだったのです。「ゆゆしや」は、たいへんだ、すごいぞという意味でしょう。
い すいか
も ものも言わで くらいついたる 西瓜かな 明治31年 秋
西瓜は、俳句では秋の季語ですが、今ごろは夏の盛りに出回っています。暑さに乾いたのどを、よく冷えた西瓜でうるおす。スプーンなんか使って上品に食べていたのでは、ほんとの西瓜の味がしませんね。大きく口をあけて、ガップリとかぶりつく、それがいかにも西瓜の食べ方にふさわしい感じです。「ものも言わで」は、ものも言わないでという意味です。
ぜんでら なに すず
せ 禅寺に 何もなきこそ 涼しけれ 明治29年 夏
禅宗のお寺は、たいてい建物も庭も質素な造りで、庭にはほうきの目がきれいにつけられて、掃き清められ、訪れる人も心がひきしまる思いにさせられます。この句と直接関係はありませんが、京都の禅寺、竜安寺の石庭は、一面の白砂が直線と縁の文様を描き、そこに十五個の石が配置されているだけの庭でありながら、心を引きつける深いものがあります。
しま まつ しらほ
す すずしさや 島あり松あり 白帆あり 明治26年 夏
明治26年七月十九日から、一か月間、子規は、国内の旅としては最大の旅、松尾芭蕉の「奥の細道」の跡をたどる奥州旅行をしました。芭蕉が「この道や行く人なしに秋の暮れ」と俳諧の道をひたすら歩いたその道を、子規は、「その人の足跡ふめば風かおる」とよんで、暑さの盛り、病弱な体にむち打って、芭蕉の足跡をたどりながら、旅をしたのです。そこに俳句の道に対するせつないまでにいちずな子規の情熱を感じることができます。この「すずしさや」の句は、日本三景の一つ、仙台の松島をよんだ句です。
きょう き おうぎあがな
京 京に来て 扇購う いとまかな 明治31年 夏
いろは歌は、「ん」を加えて四十八音ですが、「ん」で始まることばがないからでしょうか、いろはかるたでは、「京」で始まることばの札を加えて四十八枚で作られています。
解説は、市村通泰氏のものをそのまま引用させて頂きました。
監 修 和田茂樹
選句・解説 市村通泰
絵・デザイン 野村彰史
さて、子規いろはかるた、いかがだったでしょうか?
改めて子規の句作の幅の広さ、焦点の定まった視線…そんなものを感じたのではないでしょうか?
今週末「楓の会」では、かるた大会・句会を催します。
子規の域には、なかなか及びませんが、ちょっと頑張ってみようかと思っております。
また、吟行会の様子をご報告できればと思います。