中国の古いことわざに
少年老易学難成
一寸光陰不可軽
という言葉がある。
これを和文にして読むと誰もが一度は聞いた(きっと私以上の世代なら…)ことのあるだろう言葉となる。
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
時間というものは、あっという間に過ぎてしまうのだから今のうちにちゃんと勉強しとけよ…と教師から言われた記憶がある。
教師は自分の半生の実体験から「お前たちはもっと有意義に時を使えよ」と言うのだが、教え子にしてみれば「時」の実感がまだ薄く鼻糞でもほじりながら、今日の放課後は友だちと何して遊ぼうか?…なんてよそ事に思いを馳せ、な~に言ってんだか?…くらいにしか聴いていないのだ。
それというのも「時」に関する価値観が子供と大人では違うし、一日の長さも相対的に違うからなのだ。
たとえば、12才の少年にとって1年は、その少年の人生の1/12であり、1日の長さも過ごした日数の4380数日分の1に当たるのだが、私のように42才の人間にとっての1年は1/42であり、過ごした日数は15340数日分の1となるからだ。
年をとるにつれて何で1日がこんなに短いんだろう?…と思うのは、自分の人生の過ごした時間に対して1日という時間単位を無意識のうちに推し測るからなんだろう。
だから何?…と問われると返答の仕様がないのだが…
ヒトのブログ見てニヤニヤしてないでさっさと寝なさいよ!時間がもったいないんでしょ?と妻に言われると…
はい~っと素直に返事をする悠人であった。。。
少年老易学難成
一寸光陰不可軽
という言葉がある。
これを和文にして読むと誰もが一度は聞いた(きっと私以上の世代なら…)ことのあるだろう言葉となる。
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
時間というものは、あっという間に過ぎてしまうのだから今のうちにちゃんと勉強しとけよ…と教師から言われた記憶がある。
教師は自分の半生の実体験から「お前たちはもっと有意義に時を使えよ」と言うのだが、教え子にしてみれば「時」の実感がまだ薄く鼻糞でもほじりながら、今日の放課後は友だちと何して遊ぼうか?…なんてよそ事に思いを馳せ、な~に言ってんだか?…くらいにしか聴いていないのだ。
それというのも「時」に関する価値観が子供と大人では違うし、一日の長さも相対的に違うからなのだ。
たとえば、12才の少年にとって1年は、その少年の人生の1/12であり、1日の長さも過ごした日数の4380数日分の1に当たるのだが、私のように42才の人間にとっての1年は1/42であり、過ごした日数は15340数日分の1となるからだ。
年をとるにつれて何で1日がこんなに短いんだろう?…と思うのは、自分の人生の過ごした時間に対して1日という時間単位を無意識のうちに推し測るからなんだろう。
だから何?…と問われると返答の仕様がないのだが…

はい~っと素直に返事をする悠人であった。。。
