幸徳事件を知りました。 | yoshinology

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世の中に偽りというものが無ければ、疑いが生じない。疑いが無ければ、探求が行われない。探求が無ければ、知恵も、知識も、天才も生まれない。 —Walter Savage Landor

 今日も早起きの必要が無い日でした。一時間十分程の寝坊で身体を起こし、お薬とグルタミンを飲んで朝食を頂き、洗顔と塗布をし、お客様をお迎えしました。HA様、YW様とKW様、SA様です。それぞれ一時間や三十分程過ごしてお見送りしました。

 お昼を迎えて息子と二人で昼食を食べに行きました。食後、普段は将棋教室へ行く息子ですが、今日はお休みしました。どうも最近楽しめていないそうです。息子に勝負事は合わないかもなあと思っており、そんな事はなかったかなと思い直したりもしましたが、また最近その様に思い直し直し始めています。

 ともあれそうして一緒に帰宅し、午後もお客様をお迎えしました。KH様、MS様、YT様とKT様です。それぞれ三十分程過ごしてお見送りし、出掛ける支度をして家を出ました。今日は月に一度の大塚セッションの日でした。今日も色々な音楽に触れる事が出来ました。ありがとうございました。

 

 そんな今日は特筆すべき事が無く、ウィキペディアを徘徊していました。一九一一年の今日、幸徳事件という事件の、幸徳秋水ら二十四名に死刑、二名に有期刑の判決が下されたそうです。この幸徳事件を僕は知りませんでしたが、明治天皇の暗殺が計画された大逆事件だったそうです。

 これがなかなかの事件で、一九一〇年五月二十五日に宮下太吉なる人物が爆発物取締違反容疑で逮捕された事から明るみに出た計画で、その後管野スガ、新村忠雄、古河力作の三人も計画に関与したとして逮捕されました。

 これが明科事件と呼ばれるそうですが、これを口実に社会主義者や無政府主義者の逮捕が始まったそうです。その中に幸徳秋水なる人物も含まれており、計画発覚から八ヶ月後の一九一一年一月十八日に、上の判決が下されたのだそうです。そして二十四人の内の十一人の死刑の執行はそれから六日後の一月二十四日でした。

 この後がなかなかの流れで、一九六〇年にこの事件を明らかにする会が発足され、実際に事件に関与していたのは最初に挙げた四人だけで、他は冤罪だった様です。間違い、ではなく、国家による捏造だったのだそうです。幸徳事件の名前になった幸徳秋水は何者かと言えば、首謀者の一人の管野スガの内縁の夫でした。一九一〇年六月一日、それだけで逮捕され、碌に証拠も無いまま有罪判決受けたのだそうです。

 

 戦前ってのは凄い時代だったのだなと思いましたが、それから百年以上が経った今も、然程状況は変わってはいないのではないでしょうか。基本的には国家が決定した事を概ね覆せない我々です。他にも思い出すのは一九三三年に虐殺された小林多喜二です。警察や国家の不祥事を指摘するのは、アインシュタインの「9×10=91」の逸話と同じかも知れず、要するに不祥事の裏側で数え切れないくらいの、一々表立って来はしない「当たり前の」良い事をしてくれている(はず)の権力を、たった一度の不祥事で不当に陥れる事になるのかも知れませんが、それにしても権力側の不祥事というのは規模もしくは残虐性が違うと思います。

 

 明日も早起きの必要が無い日です。