「二十五歳の分かれ道」という神話。 | yoshinology

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世の中に偽りというものが無ければ、疑いが生じない。疑いが無ければ、探求が行われない。探求が無ければ、知恵も、知識も、天才も生まれない。 —Walter Savage Landor

 相変わらず風邪の症状が続いております。年齢を重ねる度毎に、回復に至る期間が長くなって行く様な気がします。「二十五歳が分かれ道」は、「三歳」や「母性」などと同様に神話かと思っていたのですが、「三歳」や「母性」は神話だとしても、「二十五歳が分かれ道」は或いは本当なのかも知れません。オー、ファック。


 そんな今日も、一日読書に勤しみました。黛真夜は文科系硬派でしたが、僕は何でしょう。文科系根暗かしら。

 それにしても世の中には、色々な事柄を色々な言葉で書いている色々な本があります。今日読了した本は一冊の小説と一冊のノンフィクションでした。小説の内容は、能や後継者問題に絡む長編推理小説で、ノンフィクションの内容は、自殺した五人の若者が遺した遺書をテーマにしたものでした。面白い本もあれば詰まらない本もあり、愉快な本もあれば不愉快な本もあり、感動する本もあれば興醒めする本もあります。よっぽど詰まらなくもなく不愉快でもなく興醒めもしなければ、物凄く難しい作品を除いて、特に面白くもなく愉快でもなく感動もしない本でも読了する様努めているのですが、読了出来る本というのは、それが例えば哲学書や実用書の様な本であれ、暇潰しに最適な毒にも薬にもなりはしない様な本であれ、そこにはそれだけの特質や魅力が備わっているのでしょう。

 事ある毎に「今年は三百冊読む」と宣言している僕ですが、N嬢は「量より質だよ」と進言しますが、僕自身はまだ質より量の時期だと思っています。頑張ります。