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Elvis John kobayashiのブログ

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 今の仕事に就く前、30年前・・・私が36歳、メーカーA社のバリバリのメーカー営業マンだったころ、上司だった福岡営業所のT所長が退職届を出されたため、7月には次の所長に私が指名され、「もっと大きな仕事をしたい」と思っていた私は、OKしたのでした。


 当時のA社は大手メーカーの参入で苦戦を強いられ、数年の間に九州も、福岡・熊本と崩れ始めていたころで、鹿児島が最後の牙城として、踏ん張っていましたが、その責任者が私でした。

 ところが、宮崎を基盤とする得意先F社に、8月に久々に訪問したら、ダスキン新事業の、レントオールの鹿児島・宮崎の店舗を出したい、とK社長は私を積極的にヘッドハンティングされた。私も会社の「ブランド力」をいやと言うくらい感じていたので、結局「ダスキン」ブランドの魅力に負け、決まっていたA社福岡所長を断って退職、翌年3月にレントオール鹿児島ストアを開店した。

 あれから、約30年を経て、紆余曲折あったが、14年前にF社から営業権を譲受して創業し、現在に至っています。2年前には社屋移転しさらに飛躍・・・と行きたかったのですが、想定外の大きな問題が出て、会社に不穏な空気が出て来ました。


その一つが、11月に弊社創業以来のベテランO君が退職を表明し、懸命に慰留したが叶わずなかった。それでも名実ともにS君をリーダーとした新体制と言うことで、S君とも次の体制を決め始めた12月末、あろうことかS君も退職の意向を表明し、何度か遺留に努めたが1月には、再度退職を表明、ベテラン2名の相次ぐ退社に、「明日からの会社経営をどうしよう」、創業以来の初めての大きな苦しみでした。

「これってどこかで見たことあるな」・・・と思った時、私がA社を辞めた時とそっくりだ、・・・これが「デジャ・ヴ」(既視感)と言うものか、と愕然としました。


そう思うと30年前、退職を表明した私を鹿児島に来られ説得されたAY社長の胸中はいかばかりだったか、A社が厳しい時だっただけに「九州には○○君(私のこと)がいるから大丈夫!」との思いを180度覆した私だから、30年後に同じ境遇に・・・。これを「超時間反射」(純粋倫理原論:全一統体の原理より)と言うのだろうか・・・。考えさせられました。

 

実は、2年前愛媛県松山でレントオールオーナー会があった時にA社があったI市(今はS市)に行ったが、A社屋は跡形も無く、Y社長宅も分からず、そのまま鹿児島に帰ったことがあります。


あれから2年も経ず、この「デジャ・ヴ」・・・当時のY社長には本当に申し訳なかったと思います。いろんなところで不義理をしている私は、せめて今いる人・特に身近な社員とその家族には、幸せになってもらえるように精一杯に尽くさなければならない、と思います。これが私の使命です。