先日大分で開催された「中同協役員研修会」に出席し、同友会の素晴らしさを体感した。帰ってから復習するつもりで「同友会運動の発展のために」を読み、あらためて同友会というものをを一から考えてみた。後半に記述されている「労使見解」は同友会のバイブルであり、昔から何回も読んでいたつもりだが、新たな気持ちで読んでみると書いてある内容に初めて思い当たることが多々あった。
特に「3、労使関係における問題の処理について」の後半部分の・・・・
「労使間の問題を団体交渉の場で話し合うだけでは不十分です。職場内の会社組織を通じ、その他あらゆる機会をとらえて、労使の意思の疎通をはかり、それぞれの業界や企業のおかれている現状や、経営者の考え、姿勢をはっきり説明すると同時に、労働者(1975年当時の文書であり、今では”社員”と置き換えたほうが適切)の意見や、感情をできるだけ正しく受け止める常日頃の努力が必要です。
・・・と言う文言が、私にグサッと突き刺さった。
今まで「社員に今と未来を良くしたい」との思いで、厳しい経営環境の中から、諸手当、消費税増税充当分の手当、時間短縮に一生懸命に取り組んで来ているつもりだが、なんとなくみんなの反応は鈍いし、淡々としている。何か不満はあるみたいにも感じるが、一向に私まで聞こえてこない。どうしたらこの意思疎通を良くできるか、図りかねていた。
1年半前「成長支援制度」を導入して、会社の求める社員を明確化して、定期的に「面談」をして労使間の意思疎通を図っているつもりだが、今一つ一方通行の感は否めない・・・、そんな中で「労使見解」の言葉が、グサッとつき刺さってきた。
「労使の意思の疎通をはかる場・機会」が無いからそうなるのでは?「社員の意見や、感情をできるだけ正しく受け止める常日頃の努力」が出来ていないために、社員の「不満を受け止める場・機会」がなく、不満のやり場がなく「どうせどうにもならない」と言うあきらめにも似た状況があるのでは?
私の(社会人としての基盤を築いた)20代から30代に務めていた会社(紙製品メーカー)は労働組合は無かったが、代わりに「労働改善委員会」なるものがあり、各営業所、工場の代表が年2回ほど集まり、事前に出された社員の要望を、経営者側と話し合う制度があった。
通らないことが多かったが、その中で経営者側の説明もあり、「会社も儲けてないから仕方ないよなあ」とそれなりに納得していた。「意思の疎通をはかる場・機会」になっていたのでは、と思える。
弊社でもまずそれに似た形で、各事業の代表を決め、「朗働環境委員会」を設置して、社員からの要望を聞き、駄目な要望に対しても、会社の実情や厳しい環境を説明し、それに真摯に答えていく場・機会を作って行きたい。
単に社員の要望を聞くだけでなく、「クリエイト・コア」をその上位組織して、大きな枠で「会社の現状を説明し、社員全体で会社の未来の方向性を決めて行く」機関として機能させたい。との希望を持っている。
昨日の税理士との9月度監査で、厳しい指摘を受け、「経営者としての覚悟」をしなくてはならない局面を迎えた、と思う。
もしかしたら「自己中心」や「見栄」を卒業することが、経営の第一歩なのかもしれませんね。・・・・と言う「私の経営の軍師・H氏」の言葉を今、実践する機会がいよいよ来たのか、・・・「一歩先は死ぬ」と言う思いは、幸か不幸か未経験な分、苦しさも喜びも中途半端だった、齢65歳の私の正念場かもしれない。