はてな、シリコンバレーに子会社を設立

藤本京子(編集部)

2006/07/14 11:29

 はてなは7月14日、米国カリフォルニア州ロスアルトス市に100%子会社となるHatena Inc.を設立すると発表した。はてな代表取締役の近藤淳也氏が子会社の代表を兼任する。


 当初は、日本法人から近藤氏を含め3名が渡米し、現地での事業立ち上げに注力する。近藤氏は「将来的には現地で人を採用したい」としているが、採用の時期や目標とする規模は現時点では未定だ。

 はてなは、今回の米国子会社設立の目的として、英語圏をはじめとする多言語に対応したグローバルサービスの開発や、最新インターネット技術の研究、先進的なインターネット関連企業との関係強化を挙げている。近藤氏によると、米国子会社設立についての構想を始めたのは約1年前で、2005年末には事業方針として子会社設立を打ち出していたという。


 最初に手がける事業が何かについては、まだはっきり決まっていないと近藤氏は言うが、「現在のサービスの国際化および新規サービスの開発などを含め、1年以内には何らかの成果を出したい」としている。

 7月14日は、はてなにとって設立5周年の前日。5年前に京都市で創業した同社は、2004年4月に東京都渋谷区に本社を移転し、サービスの拡充を図っている。現在の従業員数は21人で、13のサービスを提供している。同社が運営するウェブサイト「はてな 」の訪問者は、2006年1月に月間779万人に達し(ネットレイティングス調べ)、2006年7月現在の登録ユーザー数は43万人に達した。

はてな、アメリカへ (1/3)

スターウォーズ登場人物の過酷な生き方を見て思った。「東京でぬくぬく暮らしてる場合じゃない」。はてなの近藤社長は、社員を日本に残してアメリカに渡る。目標は「はてな村を世界に」。
2006年07月14日 11時00分 更新

 はてなの近藤淳也社長が日本を去る。妻ともう1人の社員1と、犬1匹を連れて。社員19人を、東京に残して。

 なぜ今、アメリカに?――そうたずねると「いや、それがね」と照れ、濃くて強い目の光が、少し柔らかくなる。


 「映画館で『スターウォーズ エピソード3』を見ていてふと、『東京でぬくぬく暮らしていてはいけない』と思ったんですよ」

 善良で純粋だったアナキン・スカイウォーカーは、つらい葛藤を経てダークサイドに落ち、ダースベイダーになる。「登場人物みんな、ずいぶん過酷な人生を送ってますよね。全宇宙の運命を背負い、命をかけて刀を振ったり――すごいなぁと思って」

 そして反省した。「もっと過酷な環境で頑張らないといけないのでは」と。昨夏のことだ。

 近藤社長の生活も、生ぬるいものではないはずだ。「日本を代表するWeb2.0企業」などと言われ、注目を集めるベンチャー社長。新サービスやユニークな会社の仕組みにマスコミが注目し、取材が殺到する。

 「東京に来て社員が増え、いい会社と言ってもらえて、収益が出るようになって……。ちょっと、ちやほやされているなぁという感覚がある。ぬるいというか、甘えが出ているなと」

 2001年7月、はてなは京都で、夫婦2人で創業した。ITも経営も素人だった当時の近藤社長は、先輩企業の門を叩いて教えを乞い、「人力検索はてな」を作った。当初は鳴かず飛ばず。資本金は20万円に減り、出資をあおいでは断られ、受託開発で糊口をしのいだ。必死だった。

 「すごく遅れている感じがあったんですよ。ぼくたちがやっていることはレベルが低いんじゃないか、ビジネスとしてもヒヨっ子だろうと。世の中にはすごい人がいっぱいいるのに、その中に全然入れてもらえてないんじゃないか、と」

 「その分すごく頑張ったと思う。新しいもの作って、どうだどうだ、ってユーザーに問うことを、本当に頑張ってやっていた」。京都時代に開発した「人力検索はてな」「はてなアンテナ」「はてなダイアリー」。この3つは今、はてなの“顔”に育ち、収益の源泉になっている。

 2004年4月。はてなは京都から東京に移った。京都でできることはやり尽くし、「次を知りたい」と思ったから。

 あれから2年。東京で多くを学んだ。会社の規模も拡大し、収益も伸び、このままでも行けそうという手応えもつかんでいる。そして分かれ道にさしかかった。今の体制のまま拡大を続けるか、国内で上場を目指すか――近藤社長が選んだのは第3の道。アメリカに行くという、普通の会社ならまずありえない選択肢だ。


 実は、かなり焦っていた。「東京に来てから、自分の手で新しいサービスを生み出せていない。受託開発していた京都時代と違って、新サービスの開発だけやっていればいいはず。手伝ってくれる人もたくさん増えたはずなのに、作れない。結構危機的ですよ」

 中学時代、陸上部の長距離選手だった。運動場のトラックを抜けて外に出て、いろんな景色を見るのが好きだった。高校時代の受験勉強はいつも違う図書館で。今も「出張オフィス」と称し、別の会社の一角を借りて仕事することがある。場所を変えた刺激と高揚感の中で、質の高い作業をするのが好きだ。

 だから今、環境を変える。新しい場所でゼロに戻り、何かを生み出す刺激と高揚感を得る。東京からシリコンバレーへ。「あなた誰?」「はてなって何?」から始まる土地へ。

 ネットの世界標準が生まれる場所で、厳しい環境にあえて身を置き、戦いを挑む。「新しく起業するぐらいの意気込みで頑張りたい」という。究極の目標は、「『はてな村』を世界標準に」。




===================================================================================

livedoorや楽天がそうでもないIT企業としてばれて以来、日本で数少ない注目されているweb2.0的企業である『はてな』、近藤社長であるが、米国に進出という記事は、まるで彼らが何年か前の野茂や中田が世界(日本が『世界』へといっていること自体違和感を感じるが。。。)飛び出していったことを髣髴させる。

TBのコメントを見ても比較的好意的にとらえられており、頑張れ!ニッポンという感じだ。



別に出て行く先はシリコンバレーでなくても、米国であればボストンやテキサス、ニューヨーク、カナダのオタワ、イギリスのロンドン、あるいはイスラエルのテルアビブ、あるいはアイルランド・ダブリンでも構わないと思う。



インターネットでサービスをしようと思ったら、必然的に世界中を相手にするわけで、別に東京や沖縄にいても構わないはずだし、彼らの意図が良く分からない。今のサービスを多言語圏へと言っても、はてなのサービスのテクノロジーの先端性はどこにあるのか、ブログをかけば勝手にwikipediaのような辞書とリンクさせているようなだけである。(認識が間違ってたら教えて!!)



今たまたま仕事で東海岸のボストンに来ているが、ここだってMITやハーバードといった世界に冠たる大学があり、刺激を受けようと思えば、どこだっていいと思うし。。。



いづれにしてもまずはシリコンバレーで刺激を受けて、そこから新たな功名を見つけて、それを日本のユーザに、あるいは世界のインターネットユーザにもたらしてくれることを期待する。そして、その成果を日本の若い人たちや、オールドエコノミーの人たちに伝えられれば、十分役割は果たせると思う。

失敗しても何かが得られると思うので。。。


単にシリコンバレーの会社と業務提携したとか、彼らの日本語版を作るといったことだけで帰ってくるのはやめてほしい。それは今までの日本メーカーや商社がやってきていることだから。。。