じゃんけん大会について語りたいと思っていた。八百長だ何だなどという話ではなく、勝負の場に臨むメンバー達の姿勢と、運や巡り合わせについて語るつもりだった。だが、元々記事作りが早い方ではない自分が、AKBについて語ろうとすると、更に倍で遅くなる。そうこうしている内に、自分の敬愛する方がご自身のブログで、自分が言いたかった事を全て,それも自分より遥かに深い考察の下で記事にされた。それを読んでしまった以上、もう自分の記事は書けない。『じゃんけん大会について:ぼくのおもったことはみんなこちらのぶろぐにかいてあります』なんて小学生の日記みたいなことしか書けなくなってしまったからだ。やっぱり記事は思いついた時に力を入れて文字に起こさねばならなかった。「遅い仕事やったら牛でもするで」という高校部活の顧問の口癖を何年ぶりかで思い出す羽目になった。
とはいえ、そこでめげていてはブログが立ち行かなくなる。「小箱の中の光る石たち」は一応自分的に連載記事なのだ。このままではこのブログは書きやすい雑記帳ばかりになってしまう。ということで、じゃんけん大会当日の出来事を金箔職人並みに引き伸ばして2編書くことを決めた。ただ、そういう出自故、本文は極めて短くなってしまう。一見不要と思われるこの前書きをだらだら書いているのは、実は文字数稼ぎなのだ。ということで、1編目は33rdシングル、「ハート・エレキ」を取り上げる。
今回のシングルは、ターニングポイントを迎えたAKBが、今後進むべき道やコンセプトを想起させるメッセージを込めるものになると予想していた。レジェンドとも言える巨大な存在たちが卒業して初めてのシングルであり、また、年5枚発売がルーティン化してきたAKBのシングルの中で、余分なコンセプトを持たない分、ストレートなメッセージを込めやすい秋シングル。大型のツアーも終え、新たな何かを示すには格好の場だと思ったからだ。一昨年の「風は吹いている」には”震災復興支援”というストレートなメッセージがあり、昨年の「UZA」では、巨星・敦子に代わる新しいセンターを立てて、最も難しいダンスに挑むことで、第二章の幕を切って落とした。あれから1年が過ぎた次のシングルは、選抜だけでも2人の卒業者を出したことも相まって、世代交代停滞の流れを断ち切り、今度こそ新生するという気合のメッセージを乗せる事が出来る大きなチャンスのはずだった。
だが、現実は極めて不可解だった。センターにオリメンのこじはるが起用され、前作から卒業で空いた2つの席+SNH専念の佐江+支店枠から外れただーすーの計4名が選抜からout、その枠に、AKBから峯岸・川栄・入山、HKTから多田が入った。
正直、開いた口がふさがらなかった。全く運営の意思が理解出来ない人選であり、胸に響くものが何もない布陣だ。賛否両論巻き起こるほどのドラスティックな変革は全く織り込まれなかった。というより、変革を拒むかのような選抜だ。自分のこのブログを読んで頂いている奇特な方はご存知だと思うが、自分は優子推しであり、回顧厨であり、最近の若手たちの魅力をなかなか理解しない頑固親父だ。自分にとっての最強選抜はヘビロテ選抜であり、最高のPVはポニシュであり、最高の公演は“RESET”で、最強のコンビはあつゆうという、狭量かつ超遅参の典型だ。出来ることなら変革は望んでいない。永遠にあの時が続けばいいのに,と遠い目をするおっさんだ。
そんな自分から見てもこの選抜はまずいと痛感する。いくら望んでも永遠など無い。目の前に無い幻にいつまでもしがみつく事は出来ないことはもう分かっている。「第二章」・「世代交代」の声はつまりは幻の否定だ。否定する事によって幻を求める層がAKBから離れるリスクは有る。だが同時に、新たな原石を舞台に上げることで、また新たなファンを獲得するオポチュニティもある。目の前のリスク&オポチュニティだけでなく、将来のビジョンまで天秤に掛けて未来を占ったのなら、今回の選択肢だけは無かったはずだと憤っている。極端な話、優子を外してでも新星を突っ込むべきだったと思う。何? 優子に外仕事が充実している今だから言えることだろ? 無い時期なら激怒してただろって? 当たり前だ。全くその通りだ。逆に、優子ヲタがAKB本体から目を離しがちなこの時期だからこそ選抜から外すチャンスだったのだ。売上げが落ちるのが怖くとも、個別握手会の回数を増やし、全国握手会には適宜優子も帯同すれば或る程度回避出来る。少々の謗りを受けても、様々な特典をつけてやれば何とかなるだろう。売上げが落ちてもいい,ミリオンに拘らなくていい,などと商業主義を否定する夢見がちな意見を言うつもりは無い。ただ、それを回避するための道として、運営はあまりに安易な道を選んでしまったとは言えないか? 彼らに対しては頭を捻ることを惜しむな,と言いたい。
こじはるセンターについても全く以って納得がいっていない。“今度こそこじはるに卒業フラグが立った”・“思い出センターだ”という見解が多いが、逆に、そうでなければ困る。さっきも言ったとおり、回顧厨である自分にすれば、こじはるを失う事イコール最大級の華を失う事であり、彼女の卒業など考えたくも無い悪夢であるが、同時に、その事実も予定も無しに彼女をセンターに据える理由など何処にも無い。本来なら、そんな理由で据えることすら許されないほどセンターの重みはある。卒業に際して彼女のこれまでの功績を労いたいのであれば、彼女のために書き下ろしたカップリングのセンターでPVを作るところまでで十分だろう。それでも、そこは百歩譲って卒業への手向けと考えれば、ギリギリこじはるセンターには納得せざるを得ないのだろう。
だが、それ以上に納得がいかないのが峯岸の復帰だ。自分は普段、愛着を込めて彼女を“みぃちゃん”と呼ぶ。アイドルらしい歌と、切れが良く変幻自在なダンスで魅せる彼女が選抜に居る事に異論を唱える事は全く無かった。だが、今この文章を書いている間は、“峯岸”と呼ぶ。彼女個人への愛着を切り捨てて別の視線から論じたいからだ。
彼女はAKBに厳然と定められていたルールを破った。そのことにいつまでも拘り、彼女を責め立てるつもりはない。だが、自分が拘るのは、運営があの不文律をどう捉えていたかということだ。“恋愛禁止”の言葉に“処女であれ”などという螺子の外れた論を持ち込むつもりは毛頭無いが、“脇目を振らず夢に向かう少女たち”の象徴的なスローガンとして捉えることには意味があるはずだ。だからこそ、“過去は不問。現在進行形はNG”の解釈が生きてくる。AKBの根幹である“夢に向かって全力投球”を支えるために必要なルール。それを破った彼女を魔女狩りが如く火炙りにする必要は無いが、多くのメンバーたちが思い焦がれて身をやつす“選抜メンバー”に復帰させる事に、運営がどれ程の熟慮を重ねたのか、そこを問いたくはある。単に、研究生を引っ張って纏め上げた事を労うだけなら、チーム4を結成して、そのキャプテンに据えた事でもう十分なはずだ。彼女の芸能生活を考えても、現在でも十分に外仕事があり、頭の回転の速さゆえ今後の展望も明るい彼女を、AKBの選抜に復帰させることに大きな意味を見出す事が出来ない。普段口にしないよう努めている、“オリメンへの偏愛”や“事務所のパワーゲーム”といったネガティブな言葉も頭を掠めてしまう。いずれにせよ、繰り返しになるが、彼女個人の魅力云々とは全く別次元の観点から、彼女の選抜復帰はありえなかったと断じたい。
らぶたんに関しても論じたいところではあるが、実のところ、自分は彼女に関する知識が浅い。特に、HKT移籍以降の彼女に関しては全く情報が少ない。そんな状態で彼女を論じることは失礼にあたろう。しかし、世代交代に重きを置くべきこの時期、果たしてはるっぴやさくら、メルみおを選ばずにらぶたんを選ぶ明確な根拠や深い思索が運営にあったのか、これは逆にHKTファンからご意見を伺いたいところだが、残念ながら、日々平均年齢が上昇する自分の周辺には、そこまで守備範囲の広い御仁を見つけることが出来ない。若いメンバーを焚付けるためなのか、それともまたぞろ脳裏をかすめてしまう“事務所云々”なのか、いつかその意味を知る時が来るまでは論を封じる。
結論として、今回選ばれた選抜メンバー側に非は無い。とにもかくにも、選ばれたメンバーたちはAKBグループの顔なのだ。どこに出ても恥ずかしくないよう、全力を尽くして欲しい,と願うのは普段と変わらない。だが、運営がAKBの選抜をどう捉えているのか、どう位置付けているのかについてはかなり悲観的な思いを抱いてしまった。所詮外野の自分が分かったような口を聞くなであることは重々承知の上で言うが、AKBの未来についてもっと真剣に考えて欲しい。とにかく、今回の選抜メンバー決定に至ってしまった点については、運営が全面的に問題を抱えていると言わざるを得ない。メンバーはちっとも悪くないのだ。
...と言い切れないのが今のAKBだ。次回は、じゃんけん大会で滲み出た、メンバー間の意識差について論じたい。と次回に向けて引っ張ってみる。
とはいえ、そこでめげていてはブログが立ち行かなくなる。「小箱の中の光る石たち」は一応自分的に連載記事なのだ。このままではこのブログは書きやすい雑記帳ばかりになってしまう。ということで、じゃんけん大会当日の出来事を金箔職人並みに引き伸ばして2編書くことを決めた。ただ、そういう出自故、本文は極めて短くなってしまう。一見不要と思われるこの前書きをだらだら書いているのは、実は文字数稼ぎなのだ。ということで、1編目は33rdシングル、「ハート・エレキ」を取り上げる。
今回のシングルは、ターニングポイントを迎えたAKBが、今後進むべき道やコンセプトを想起させるメッセージを込めるものになると予想していた。レジェンドとも言える巨大な存在たちが卒業して初めてのシングルであり、また、年5枚発売がルーティン化してきたAKBのシングルの中で、余分なコンセプトを持たない分、ストレートなメッセージを込めやすい秋シングル。大型のツアーも終え、新たな何かを示すには格好の場だと思ったからだ。一昨年の「風は吹いている」には”震災復興支援”というストレートなメッセージがあり、昨年の「UZA」では、巨星・敦子に代わる新しいセンターを立てて、最も難しいダンスに挑むことで、第二章の幕を切って落とした。あれから1年が過ぎた次のシングルは、選抜だけでも2人の卒業者を出したことも相まって、世代交代停滞の流れを断ち切り、今度こそ新生するという気合のメッセージを乗せる事が出来る大きなチャンスのはずだった。
だが、現実は極めて不可解だった。センターにオリメンのこじはるが起用され、前作から卒業で空いた2つの席+SNH専念の佐江+支店枠から外れただーすーの計4名が選抜からout、その枠に、AKBから峯岸・川栄・入山、HKTから多田が入った。
正直、開いた口がふさがらなかった。全く運営の意思が理解出来ない人選であり、胸に響くものが何もない布陣だ。賛否両論巻き起こるほどのドラスティックな変革は全く織り込まれなかった。というより、変革を拒むかのような選抜だ。自分のこのブログを読んで頂いている奇特な方はご存知だと思うが、自分は優子推しであり、回顧厨であり、最近の若手たちの魅力をなかなか理解しない頑固親父だ。自分にとっての最強選抜はヘビロテ選抜であり、最高のPVはポニシュであり、最高の公演は“RESET”で、最強のコンビはあつゆうという、狭量かつ超遅参の典型だ。出来ることなら変革は望んでいない。永遠にあの時が続けばいいのに,と遠い目をするおっさんだ。
そんな自分から見てもこの選抜はまずいと痛感する。いくら望んでも永遠など無い。目の前に無い幻にいつまでもしがみつく事は出来ないことはもう分かっている。「第二章」・「世代交代」の声はつまりは幻の否定だ。否定する事によって幻を求める層がAKBから離れるリスクは有る。だが同時に、新たな原石を舞台に上げることで、また新たなファンを獲得するオポチュニティもある。目の前のリスク&オポチュニティだけでなく、将来のビジョンまで天秤に掛けて未来を占ったのなら、今回の選択肢だけは無かったはずだと憤っている。極端な話、優子を外してでも新星を突っ込むべきだったと思う。何? 優子に外仕事が充実している今だから言えることだろ? 無い時期なら激怒してただろって? 当たり前だ。全くその通りだ。逆に、優子ヲタがAKB本体から目を離しがちなこの時期だからこそ選抜から外すチャンスだったのだ。売上げが落ちるのが怖くとも、個別握手会の回数を増やし、全国握手会には適宜優子も帯同すれば或る程度回避出来る。少々の謗りを受けても、様々な特典をつけてやれば何とかなるだろう。売上げが落ちてもいい,ミリオンに拘らなくていい,などと商業主義を否定する夢見がちな意見を言うつもりは無い。ただ、それを回避するための道として、運営はあまりに安易な道を選んでしまったとは言えないか? 彼らに対しては頭を捻ることを惜しむな,と言いたい。
こじはるセンターについても全く以って納得がいっていない。“今度こそこじはるに卒業フラグが立った”・“思い出センターだ”という見解が多いが、逆に、そうでなければ困る。さっきも言ったとおり、回顧厨である自分にすれば、こじはるを失う事イコール最大級の華を失う事であり、彼女の卒業など考えたくも無い悪夢であるが、同時に、その事実も予定も無しに彼女をセンターに据える理由など何処にも無い。本来なら、そんな理由で据えることすら許されないほどセンターの重みはある。卒業に際して彼女のこれまでの功績を労いたいのであれば、彼女のために書き下ろしたカップリングのセンターでPVを作るところまでで十分だろう。それでも、そこは百歩譲って卒業への手向けと考えれば、ギリギリこじはるセンターには納得せざるを得ないのだろう。
だが、それ以上に納得がいかないのが峯岸の復帰だ。自分は普段、愛着を込めて彼女を“みぃちゃん”と呼ぶ。アイドルらしい歌と、切れが良く変幻自在なダンスで魅せる彼女が選抜に居る事に異論を唱える事は全く無かった。だが、今この文章を書いている間は、“峯岸”と呼ぶ。彼女個人への愛着を切り捨てて別の視線から論じたいからだ。
彼女はAKBに厳然と定められていたルールを破った。そのことにいつまでも拘り、彼女を責め立てるつもりはない。だが、自分が拘るのは、運営があの不文律をどう捉えていたかということだ。“恋愛禁止”の言葉に“処女であれ”などという螺子の外れた論を持ち込むつもりは毛頭無いが、“脇目を振らず夢に向かう少女たち”の象徴的なスローガンとして捉えることには意味があるはずだ。だからこそ、“過去は不問。現在進行形はNG”の解釈が生きてくる。AKBの根幹である“夢に向かって全力投球”を支えるために必要なルール。それを破った彼女を魔女狩りが如く火炙りにする必要は無いが、多くのメンバーたちが思い焦がれて身をやつす“選抜メンバー”に復帰させる事に、運営がどれ程の熟慮を重ねたのか、そこを問いたくはある。単に、研究生を引っ張って纏め上げた事を労うだけなら、チーム4を結成して、そのキャプテンに据えた事でもう十分なはずだ。彼女の芸能生活を考えても、現在でも十分に外仕事があり、頭の回転の速さゆえ今後の展望も明るい彼女を、AKBの選抜に復帰させることに大きな意味を見出す事が出来ない。普段口にしないよう努めている、“オリメンへの偏愛”や“事務所のパワーゲーム”といったネガティブな言葉も頭を掠めてしまう。いずれにせよ、繰り返しになるが、彼女個人の魅力云々とは全く別次元の観点から、彼女の選抜復帰はありえなかったと断じたい。
らぶたんに関しても論じたいところではあるが、実のところ、自分は彼女に関する知識が浅い。特に、HKT移籍以降の彼女に関しては全く情報が少ない。そんな状態で彼女を論じることは失礼にあたろう。しかし、世代交代に重きを置くべきこの時期、果たしてはるっぴやさくら、メルみおを選ばずにらぶたんを選ぶ明確な根拠や深い思索が運営にあったのか、これは逆にHKTファンからご意見を伺いたいところだが、残念ながら、日々平均年齢が上昇する自分の周辺には、そこまで守備範囲の広い御仁を見つけることが出来ない。若いメンバーを焚付けるためなのか、それともまたぞろ脳裏をかすめてしまう“事務所云々”なのか、いつかその意味を知る時が来るまでは論を封じる。
結論として、今回選ばれた選抜メンバー側に非は無い。とにもかくにも、選ばれたメンバーたちはAKBグループの顔なのだ。どこに出ても恥ずかしくないよう、全力を尽くして欲しい,と願うのは普段と変わらない。だが、運営がAKBの選抜をどう捉えているのか、どう位置付けているのかについてはかなり悲観的な思いを抱いてしまった。所詮外野の自分が分かったような口を聞くなであることは重々承知の上で言うが、AKBの未来についてもっと真剣に考えて欲しい。とにかく、今回の選抜メンバー決定に至ってしまった点については、運営が全面的に問題を抱えていると言わざるを得ない。メンバーはちっとも悪くないのだ。
...と言い切れないのが今のAKBだ。次回は、じゃんけん大会で滲み出た、メンバー間の意識差について論じたい。と次回に向けて引っ張ってみる。