クライアントの社長に叱られる!
今日はクライアント企業のHPの改良の件で製作者の方との打合せでした。
ITに関し、決して知識があるとはいえない僕が、HP改良の取りまとめです。
で、この製作者の方との打ち合わせを終え、クライアント企業に帰社したところ、
社長から呼び出され、「今日、A社に行ってたんだって?何で俺がそのことを知らされていないんだ?」
激怒に近かったです。何故かと言うと、そのA社は以前にその社長が社長をやっていた会社であり、
そうした関係から、今でも大変にお世話になっている会社だったんです。例えば未払い金の代位弁済を
引き受けてくれたり。いわば身内中の身内企業。
そうした関係もあり、今回のHPの改良も無料でやってくれることに。ちなみに実際の
製作者はA社の経理担当であり、多忙な身ながら、クライアント企業に対し、昔の恩義と言うことで、
無償で引き受けてくれたわけです。古き良き時代が未だに生きてますね。
で、社長が激怒したのは、そうしたお願いをしにいくのに、なんで社長に知らされていないんだ?
という点です。滅茶苦茶お世話になっている会社に更に無理なお願いをしに行く場合は(彼はA社のことだから
無償で引き受けてくれるんだろう、と予期していたのですね)、先ずは社長が連絡し、仁義を切るべきだろう、
ということです。すごく気持ちは分かります。僕も社長の立場であれば、激怒してたと思います。
ただ、ここで1つ。僕はあくまで上司のY氏からアポ取りを命じられたわけで、
当然ここら辺を握っておくのは、彼の責任です。いわば板ばさみ状態になったわけです。
こういうのが非常に多いんですよ。このプロジェクト・・・更に一緒に同行をお願いした、
クライアント企業の社員までも社長に怒られ。非常に申し訳なく思いました。
と言うことで、不条理感一杯で帰宅後、たまたま松下幸之助の名著「道をひらく」を
めくっていると、こんなエントリーがありました。「真剣に叱られる」。
以下に引きます。
「おたがい人間、叱られると言うkとはあまり気持ちの良いものではない。自分に非があったと
認めても、叱られると言うことはやはり嫌である。これは1つの人情でもある。
また叱る方にしても、あまり気持ちの良いものではない。嬉しい思いはしない。
これもまた1つの人情と言えよう。
~中略~
もちろん私情にかられてのそれはいけないけれども、ものの道理について真剣に叱る、
また真剣に叱られるということは、人情を超えた人間としての一つのだいじなつとめでは
あるまいか。叱られてこそ、人間の値打ちが出てくるのである。叱り、叱られることにも、
お互いに真剣でありたい」
振り返って、確かに不条理では有ったけれども、その社長が真剣に叱っていたか?と言われれば、
多分イエスだと思います。勿論、社長自身が恥をかいた、と言うことに対する怒りもあったと思いますが、
ものごとの道理ついて真剣に叱られていた、とも思え、そう考えるとなにやらポジティブな気持ちに
なれました。その社長はもうすぐ67歳。若い僕みたいな世代に物事の道理を残したい、という
気持ちもあると思うんです。そう考えると、むしろ松明を引き継がなきゃ、みたいな責任感すら
覚えます。こうした世話になった人への気配りって、人間の真価を問われるじゃないですか。
それは世代を超えて通用することだと思います。
社長は真剣に叱ってたと思うし、その気持ちに真剣に答える事も重要ですよね。
「人が備えなければならない物を身に付けるために」、大志を抱きたいですものね。
この書が名著と言われる理由を垣間見た気がしました。
この本についてはまた別の機会に触れますね。