前回の続き

有馬直純の墓所の後、本田家の墓所を、うろ覚えだけで墓所を探すのだが、わからず誰かに聞こうと大通りに出ると、家の前で洗い物をしていた方がいたので、聞くと二本戻った道を左に曲がると右側にあるというので、言われるように行くと、本光院へ行く前に安楽寺と言うお寺があって、参道入口には安楽寺略記と言うお寺の謂れとかが書かれているのである。略記では、江戸時代に入って、丸岡藩主本多家初代成重公の(一筆啓上の文の「お仙」)死去の際にはその後、遺骸を当寺にお預けとなり急遽、本光院を創建して、初めて本葬が行われたと書かれ、当院には享年月日からして成重公の子息のお墓が現存をすると書かれているのであった。