前回の続き

二の鳥居をくぐると、今度は安宅弥吉翁頌徳碑があったが、この方、なんとなく名前を知っていたが、もうこの会社はないが、安宅産業と言う会社の創設者で、出身は金沢市金石で、安宅産業のほか、学校法人甲南女子学園の創設者でもあり、また大阪商工会議所会頭などを勤めた方なのである。弥吉の創業した安宅産業は三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、丸紅、住友商事などに次ぐほどの大きな会社になり10大総合商社の一角までになったが、弥吉の死後、同族経営の弊害により、1977年には安宅産業の破綻で伊藤忠商事との間で吸収合併がなされ、安宅産業は消滅したというのである。下記の燈籠は、安宅家から奉納されたもので、弥吉をはじめ、安宅本家の人々の名前が刻まれているのである。

続く