ロードバイクで行った所その320

前回の続き

光専寺跡と光琳寺跡は分かったが、三つ目のの光徳寺がよくわからなく結構探し回り、千田町と言う所でどうにか分かった。そこは八坂神社と言う神社があったが、中には入れないように鎖がかかっていた。そして、折角の説明板だが説明文は判読できない状態であった。目的の光徳寺は、この前方辺りにあったと言うのである。この辺りは戦国時代に加賀一向一揆により加賀の国の守護、富樫正親を滅ぼした光徳寺の跡で、同寺は鎌倉時代に加賀の守護富樫仏誓が木越に創建した伝えられ、それから約200年後に光徳寺の第七代、現道が一揆の指導者として富樫氏を滅ぼしたのである。その後、光徳寺は織田信長方の兵により陥落をし、陥落後は鳳至郡黒島(現在の輪島市)に逃れた後、加賀藩主前田利常の命により七尾市馬出町に移ったのである。また近くを流れる川は「血の川」と言われ、一向一揆軍と織田信長方の軍勢が戦い戦死者の血で川が赤く染まった事からなずけられたのか血の川と呼ばれているのである。

続く