令和元年8月6日(火)晴れ

以前に「ゆうきと剣道」で投稿していた時にロードバイクで尋ねた所を我が町の紹介で記事にしていたのだが、その時に八田與一の記事を書いていた時にブロバイダーの変更で、この続きが書くことができなく中途半端に終わっていたのだが、今回新たに続きを書きたいと思うが、またお付き合いをよろしくお願いいたします。

最初の記事はタイトルの順徳天皇だが、この順徳天皇の石碑が、わが家から6kmほど行った所の御門と言う地名の所にあるのである。

この辺りはロードバイクに乗る前から良く通り御門と言う地名は何か帝が関係していた事くらいしか知らなかったのだが、最近石碑が立ったので初めて御門の地名の謂れが分かったのである。順徳天皇は1197年10月22日~1242年10月7日、学校では鎌倉時代の1192年を「いい国つくろう鎌倉時代と覚えた」鎌倉時代の方だが、父は歴史によく登場をする後鳥羽天皇、後の後鳥羽上皇で、この上皇の第三皇子になるのである。

後鳥羽上皇が起こした時の鎌倉幕府の討幕計画「承久の乱」に参加したものの討幕計画は失敗に終わり、乱の後に佐渡へ配流となったのであった。佐渡へ配流の途中大しけにあい、やむな王崎、現在の我が町の地名大崎に流れ着き、この辺りには天皇を迎え入れる所がなかったのか6kmほど離れた所に来て仮の行在所を定め3年間この地に住んだと言うのである。

その後いつしかこの村が「御門」と呼ばれるようになったのであった。

続く