前回の続き
昨日は西洋のミイラの作り方を書き、西洋では本人が関わることなく死後に後の人がミイラにすると書いたが、日本での即身仏は同じミイラでも、西洋とは違い、驚く事に本人の意思で他人の力を借りることなく食を絶ち、生きなえながら寿命を全うするのであると言うのである。
即身仏になる動機とはいろいろ言われているが、やはりお坊さんだから世間では未曾有の飢饉、天災、疫病などにより飢え苦しみ恐れおののく人々を救うために、この世の苦労を一身に背負、木食修行、断食行をやり、最後には己の命と引き換えに民の救済を一心に祈願しながら土中に入定し往生するのである。
即身仏の話では空海も有名で、今でも空海は生きているとされ、高野山では食事を毎日朝夕「生身供」と言い供しているが、ただ歴史的には別な解釈もあり「続日本後記」では淳和上皇が空海を弔った勅書には、高野山は遠いので空海が亡くなった報せが伝わるのが遅く、使者を急ぎ行かせたが、遅すぎて火葬の手助けができなかったと延べられていて、この事から空海の遺体は火葬されていると言うのが定説に近いと言う、と言う事から空海の即身仏説は死後暫くしてから起きたとの話だ。
続く