以前、斎藤一人さんが、こんなことを言っていたのを、YouTubeで、聴いたことがあります。
「いじめられていた人間が、何が許せないって、
いじめたやつも、許せないんだけど、
言い返せなかった、やり返せなかった自分が、一番、許せないんだよ」
僕は、両親が別居したとき、小4で、東京から仙台に、転校したんですが、やっぱり、いじめられました。
元々病弱で、運動苦手だったのに、当時の仙台の子っていったら、野生児でしたからね、格好の標的というか、全然敵いませんよ。
校庭が、舗装されてる学校から、転校したら、いきなり、学校に裏山があって、そこにヘビがいて、驚いたくらいです。
小5と小6の頃は、ずっと同じ担任だったんですが、同級生だけじゃなく、その担任にまで、いじめられていました。
僕、よっぽど、ムカつく子だったんですかね(笑)?
教室で、みんなの前で、パンツ一丁にされて、クラウチングスタートの格好を、やらされるんですよ。
それで、お尻が上がったところで、黒板用の、木のデカいコンパスで、お尻を叩かれるんです。
それを見て、同級生が、みんな、ゲラゲラ笑ってたんですよね。
泣くと、みじめに感じると思ったんで、自分も、無理に笑うんですけど、普通に、地獄絵図ですよ。
でも、勇気もなかったし、何か事件を起こして、あそこは片親だからとも、言われたくなかったので、耐えるばかりでした。
そのうち、担任のいじめは、うちの親にバレて、うちの親も、さすがに、教育委員会に言うぞって、キレたんですよ。
それで、担任は、おとなしくなりましたけど、卒業まで、同級生たちからの暴力は、収まらなかったですね。
中学二年では、一変して、自分が、同級生をいじめたり、担任の先生まで、いじめたりしたんです。
最低ですね。
自分だって、小学生の頃、自分をいじめた連中を、一方的に、悪く言えないってことですよね。
今思い出すと、いじめをやっていた頃の自分って、明らかに、病んでいたんだな~と、思います。
だからきっと、小学生の頃、自分をいじめた同級生や、担任も、何らかの理由で、病んでいたんでしょう。
いや、それで、やられたことや、やったことが、帳消しになるなんて、そんな甘いこと、微塵も思ってないですけど。
それで、そういうドス黒い過去を、腹の中に抱えたまま、社会に出て、これじゃマズイぞと、思うようになっていったんです。
いじめられて、言い返せなかった、やり返せなかった過去は、身を焼くほどの、物凄い悔しさですからね。
それで、いい加減、もうそろそろ、強くなろうと思いましたし、とことん、自分をいじめ抜こうと、思ったんです。
こういう理由で、格闘技をやろうと、思い立ったんですよ。
もちろん、そんなことで、いじめの贖罪になんか、全然ならないのは、百も承知の上でしたけどね。
でも、自分勝手だとは、思いますが、自分を、許したかったんでしょうね、今思うと。
でも、文字通り、血ヘドを吐くほど、格闘技をやったところで、大して、何のプラスにも、ならなかったんです。
最終的には、とにかく、格闘技とか、関係なく、自分で、ありのままの自分を、許すということを、やるしかない、
贖罪にならないとしても、自分にできることは、自分で自分を、許すことだけなんだと、思うようになったんですが、
そう思えるようになるには、格闘技を始めてからでも、28年も、かかっちゃいましたね。