西和賀日記695回「雄物川から真昼山地」 | 西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

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奥羽山脈「真昼山地」に魅せられて65歳で岩手県和賀郡西和賀町に移住したおじさんの暮らしぶり

真昼温泉が定休日なので、きょうはどこの温泉に入るべか…と考えました。

7月24日の天保無縁塚供養祭の際に「雄物川温泉」があるのを知り、気になっていたので、秋田県横手市雄物川町を目指しました。

 

 

国道107号を1時間、先週末に大曲の花火が上がった雄物川の上流、今宿というところに雄物川温泉「えがおの丘」がありました。

スポーツ室やレストランもあって、日帰り入浴は500円(第3月曜休館)

がっしりした大きな建物で風呂場も広く、脱衣所の藤カゴは48人分も並んでいました。

 

 

露天風呂からは眼下に雄物川の流れがあり、かなたに真昼山地(奥羽山脈)が見えました。

今回の目的は温泉のほかに、天保無縁塚を題材にした小説の主人公の娘さんが故郷の西和賀をしのんで毎日のように真昼山地を眺めていたというくだりが印象的だったので、雄物川町あたりからは真昼山地がどんな風に見えるのか確かめたかったのです。

長雨を降らせた前線が去って青空が広がり、そのチャンスが到来したというわけです。

 

 

このあたりの中心地だった沼館にある雄物川郷土資料館に立ち寄りました。

 

 

江戸時代末期の弘化2年(1845)に作成された沼館村絵図です。

天保大飢饉が天保4年(1833年)ですから、この絵図が描かれる12年前に南部領西和賀地方の人たちが飢えてさまよい歩いた場所ということです。

無縁塚がある旧薄井村は絵図からは少し枠の外になるようです。

 

 

小説の主人公エクが親友ヒデと米を求めて左草(さそう)の奥の峠を越えたあたり、女神山から真昼岳にかけての山がよく見えました。

エクは実在の人物で、作者が左草の実家に取材して書いたものです。

飢饉を生き抜いて、薄井村の人々のやさしさに包まれながら晩年までこの山景色を眺めていたといいます。

山の向こうのふるさとは、距離も心情としても、とてつもなく遠い所だったのでしょう。

 

 

天保無縁塚にも足を延ばしてきました。

113柱の御骨が眠っているそうです。

お堂の扉は開くようになっていて、いつでもお参りできます。

 

 

お堂のすぐ前、多くの窮民が行き倒れたという旧丸沼の跡のハス沼には、まだ数輪の花が開いていました。

 

 

青空高く、真昼山地へと向かって収束していくような白い雲がくっきりと頭上にありました。

天保の世に消えた魂たちが令和の故郷に還っていくようだと一瞬思いましたが、これは天気の変わり目で、しばらくは好天が続く予兆なんだと思い返しました。

 

 

「OMONOGAWAまち歩きMAP」を手に入れました。

今宿のお寺にスタルヒンの墓があることを初めて知りました。

戦前の巨人軍で活躍した大投手ですね。

奥さんの出身地なので二人で眠っているのだそうです。

近くの食堂では「スタルヒン焼きそば」が有名とのことで、こりゃぁまた行かにゃぁなりませんな。 (9月3日)