気仙沼日記519回「音楽⑬ジョン・レノン」 | 西和賀日記 山・雪・味・人 楽しき農山村 

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奥羽山脈「真昼山地」に魅せられて65歳で岩手県和賀郡西和賀町に移住したおじさんの暮らしぶり

1980年12月8日午後9時。

僕は引っ越した日のアパートの一室でテレビのスイッチを入れました。

NHKの夜9時のニュースを見るためです。


ところが、テレビのスピーカーからはジョン・レノンの「イマジン」が流れてきました。

ニュース番組なのに、NHKは一体何のつもりなのだろうと思いました。

そして、キャスターが「ジョン・レノンがきょう、撃たれて亡くなりました」と言ったのでした。


その時の衝撃は、今も忘れることができません。


ザ・ビートルズの4人の中で、僕はジョンが一番好きでした。

ポール・マッカートニーは軟派で音楽に丸みがありました。

ジョンは硬派で音楽が角ばっておりました。


ポールが冨士山や浅間山のような端整ある姿だとすれば、ジョンは穂高岳や剣岳のような峻険な姿に感じておりました。

僕は峻険な岩の山が好きなんです。







ビートルズのオリジナルLPは10枚だったと記憶しております。

全部持っていたのに、東京で明日食う米が買えなかった時に質屋に入れてしまったのです。


「プリーズ・プリーズ・ミー」「ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ」「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」「カム・トゥゲザー」…

ジョンがつくった歌の数々は、ビートルズの中でも傑出しています。


僕が同時進行的にジョンの歌を聴いたのは「イマジン」や「マザー」、エルトン・ジョンと歌った「真夜中を突っ走れ」のころです。


奥さんのオノ・ヨーコが優れたアーティストであることに気付いたのは、ずっと後のことでした。


40歳で逝ってしまった。

もし生きていれば、どれだけすごい歌を生み出したでしょう。


「イマジン」を単独になってからの最高傑作と言う人が多いですね。

僕も同じ考えです。

平和を希求する歌詞にスポットライトが当てられますが、僕は、優しさに包まれるような音楽そのもの(ジョンの歌には前衛的な作品が多い)に魅力を感じます。


故郷の地元紙に転職するために東京から引っ越した37年前の12月8日の、ぼう然とテレビ画面を見ていた夜の寒々とした部屋を今も鮮明に思い出すことができます。 (12月8日)