前に書いた記事の続きです。
前記事と同じく長文です。
お時間のあるときにお読みください。

総合病院の内分泌内科に受診し、血液検査、エコー検査等の検査をし、その後の主治医となったA医師(※便宜上のアルファベットであり、イニシャルではありません。以後登場する医師もB…C…と続きます、)より リウマチ科の先生の診断どおり 甲状腺の数値が非常に悪いこと 橋本病であること を告げられ、「ガス欠の車がガス欠のまま走り続けてきた状態」と、体にかなりの負荷をかけ続けた結果こうなったことを説明されました。痛みは体のキシミであると。
甲状腺ホルモンを作れない体になっていたため、甲状腺ホルモン剤のチラージン50が処方されて、A医師に「これを飲めば楽になると思うよ。」と言われました。
怠さ 異常な発汗 声枯れ 甲状腺疾患の典型的な症状は直ぐにはなくなりませんでしたが、薬をのみ始めて甲状腺の検査数値は良くなっていきました。
しかし、体の怠さは増す一方で体の痛みも増えていきました。

ひと月後の受診で、副腎皮質機能低下症であると言われました。
甲状腺と同じく副腎皮質ホルモンが出なくなっていると。
自分でネット等で調べて気づいたことですが、チラージンをいきなり50から始めたのが原因ではないかと?
A医師にパルス療法を勧められましたが、入院は勿論の事 毎日病院に通って点滴なんて無理でしたから、甲状腺と同じようにホルモン補充でステロイド剤の最初はコートリルを飲むことに。

当時、息子は高校野球レギュラー選手として頑張っていましたし、娘はクラブチームに入ってソフトボールを頑張り、レギュラーではなかったけれどチームは全国大会や中日本大会に出場するチームで、どちらもサポートが大変でした。
特に野球は学校の合併が決まっていて、最後の3年生が引退後から合併チームになるまでの父母会の会長を主人が引き受け、そのサポートまで加わっていました。
鉛のような体で、汚れたユニホームをゴシゴシ部分洗いしたり、お弁当作りしたり…時には過呼吸発作が出てしまった事も。

この年の秋から息子にも異変が…
高熱のあと微熱がずっと続き、体に力が入らなくなり、アチコチの病院にかかるも検査に異常はなく、原因がわかりませんでした。息子がふと見た新聞折込チラシを手に「ここへ行きたい。」と言い、藁にもすがる思いで行ったのが漢方薬局でした。
幸いここでの処方が効き、息子は次第に良くなり、その後私もこの漢方薬局にお世話になることになりました。

病気と激務との闘いでした。

月1の受診になり、受診毎に血液検査をしましたが、甲状腺の数値は良くなっていったのですが、副腎の方は良くならず。
コートリルは持続性が短く、プレドニンの方が長く効くから…と、ステロイド剤がプレドニンに変りました。
ご存知の方も多いと思いますが、プレドニンは副作用が多く、特にムーンフェイスやバッファロー肩など外見が異常なまでに変化 浮腫や脂肪が増えてしまいまして…他人と会うのを躊躇してしまう程に様変わりしてしまいました。
体重は一番痩せていたときよりも20㎏増⤴⤴  親戚や近所の人が私と気づかない程の変貌ぶりでした。
ステロイドは魔法のような薬で、体はかなり楽になりましたが麻薬と同じで簡単には止められない薬で、当時何とか量を減らしたいと思い、1㎎単位で調節しながら飲んでいました。
しかし、なかなか減らす事はできませんでした。怠さと痛みは段々に広がっていくような感じでした。

3月、認知症が出ていた義母が脳梗塞で倒れ片麻痺となり、私が通院している総合病院に入院し、毎日の看病介助が始まりました。体の不調に負けないよう気張って過ごしていた時期でした。

初診から1年程過ぎた8月の受診で、体の痛みが点々転々としていることをA医師に話すと「線維筋痛症かもしれないね。」と言われました。
線維筋痛症・・・
初めて聞く病名でした。

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続きはまた後日に…

今朝、家の前の畑の菜花を撮りました。
黄色は元気カラーですね。


センバツが始まりましたね。
球児のみんな、頑張れ!!!