1985年秋、母はお墓の購入を決めました | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

この時期の決まりきったニュースに高速道路の渋滞情報があります。イスラム教徒の聖地巡礼とは違うのですが、日本的な巡礼に近いものと言えましょうか。ご先祖様のお墓参りをする名目で実家に泊まり、親戚や旧友と会って食事をする。田舎のじいじ、ばあばも半年ぶりに孫と会って、親に代わってお世話をしたり、遊ぶことを楽しみにしています。

こんな光景が長年の風習として全国的に広まっているのが、日本的だなあと思います。

私も妻も所謂「田舎」がないので帰省ラッシュとは全く無縁の人生を送って参りました。この季節、どこにもいくところがないのです。逆にどこにいくのも自由ですので、旧盆の季節は夏休みを取って旅行をして参りました。

北国出身の父は自分の入る墓を東京近郊に買おうと考え、生前に下見に母を誘ったそうですが、当時の父は病気知らずでピンピンとしておりましたので母は全く取り合いませんでした。父としては事前に墓を取得しておき、自分がそこに入った後は子供達がピクニックがてら墓参りにきてくれる、そんな光景を思い描いていたようでした。

予想外に父は半年余りの闘病であっけなく逝ってしまいましたので、墓の準備は全く出来ていませんでした。私は31歳で父を失い、長男として今にして思えば過大な責任感を背負ってしまいました。母も何が何でも墓を決めるという覚悟で秋口から行動し始めました。都内では価格の点で手が出ないので、私の住む埼玉県内で墓地の物色を始めました。9月でもまだ日の高い季節です。身体の弱い母には郊外の墓地を見て汗だくで歩くのはさぞや重労働だったと思います。しかし、覚悟を持った時の母は強かった、やがて埼玉県内の民営霊園内の一角を気に入り、購入を決めました。

私も責任の一旦を担った気持ちになりました。しかし、この私の責任感がその後の人生を大きく変えることになることに、当時の私は全く思い至りませんでした。