気が付いたら父親の33回目の命日をスルーしてしまいました | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

首都圏各地は連日の猛暑です。横浜の自宅と都内の職場とを電車で往復する毎日、もう梅雨明けと言ってもいいじゃんか、とにかく暑い。週末に前線が南に降りる予想があって、それで梅雨明け宣言出来ないのだとか、でも今日の週間天気予報では向こう1週間毎日晴天だ。

こんな状態でワールドカップの寝不足も加えてボーッと過ごすものだから、大切なことを見落としてしまいました。6月27日は父親の33回目の命日でした。毎年命日前の都合の良い日に私のクルマで母親を連れてお墓参りをしておりました。しかし、母親も年を重ねるごとに弱って参ります。7年前27回忌の法要を行った時に、母親と姉たちとも相談し、法事(お寺さんを呼んでお経を上げてもらいます)はこれが最後にしようと決めました。ですから昨年の32回目の命日に33回忌の法事は行いませんでした。しかし、母親がお墓参りだけはしたい様子でしたので、お寺さんは呼ばずに姉2人を伴い4人でお墓に行き、帰りに食事をして施設に母親を送りました。

1昨年のお墓参りには妻も一緒に5人でお墓を磨いて、写真も撮って、食事をして実家に母を送りました。妻の最期のご奉公でした。昨年の命日はそれが4人になり、母の送り先も実家でなく施設になりました。今年は当の母親が父親の命日どころか、父のこともほとんど覚えていません。この1年で母親はすっかり変わってしまいました。会って判るのは自分の子供4人だけで、話題は自分の両親と郷里の兄弟妹のことだけになってしまいました。父の名前を出して思い出を語ろうにも、全く反応を示さなくなってしまいました。私たちが父親の命日を今まで大切にして来たのは、母親が夫だった人を慕ってお墓参りを所望したからだと、今改めて気付かされました。母の口から父のことが出なくなって1年近くになります。96歳の母に頼れなくなった私は、お盆にはお墓参りに行こうと決意したのでした。