一か月前の悲しい誕生日

2月に子どもに話したのは

「おばあちゃんにお誕生日おめでとうできるのは最後かもしれないから会いに行こう」なんて言って実家へ遊びに。

前回、運転しながら駅まで迎えに来てくれて、ドライブにも連れてってくれて。でも車から全然出なくて、歩けばつらそうでかなりヨタヨタ。失禁がつらいのだそう。家に戻るとすぐ横になって、以来、電話で様子聞いてみても様子は一向に変わらず。


  おばあちゃんの体調悪化

いつもなら駅まで迎えに来てくれるはずが、庭から植木いじりがてら1番に声かけてくるはずの母も見当たらず、声すら聞こえない。家の中から85歳の父だけが元気よくむかえてくれ、子どもがおばあちゃに向けてハピBirthdayの歌を歌いながら家の中に入ると、テレビを見ながら横になりっぱなしのげっそりやせ細った母がいて、ただただびっくり。


でもなんだびっくりしてない振りをしなければならないという気持ちになり「元気そうね」と母に相当無理を言っていたかな。母は父に「介護の練習」と言って、食事から風呂まで助けて貰い、父はそれに従ってハイハイとやっている。それを見て(こんなの違う)と私のなかで怒りに似たもどかしさが生まれた。


母に「どこか痛いのか」尋ねると、失禁状態でオムツをはいていて尿と便がドバっとでること。入れ歯が合わなくて歯を入れてないから食事がまともに取れず痩せたことを話してくれたので「病院行きなー、歯科も行きなー」と何度も言ったら「免許の更新が終わるまで行けない」と頑なでした。そんな体でも、この日おばあちゃんから言い出して、おばあちゃんの運転でめんたいこパークまでドライブ。体調が良い時悪い時の波があるみたいな感じでした。


  死ぬ気で免許更新

その後、実家に電話をするたび母の状態を聞くと、車も乗れず、食べることもできず、起き上がることも入浴も1人でできずになって、悪くなるばかり。父に病院に行くよう説得することをお願いしたが、免許更新手続き済んだらいくと約束。


3月7日、免許センターへ行きギリギリ更新。父聞いたが母が免許証センターの入口で転んだとか、車椅子かりて実習したとか聞いた。それでも認知症テストも運転実習も1発合格。無理したのか疲れもか?身体に痛みを感じはじめてきたそう。


  病院に行かない人を行かせる技

翌日8日、最寄りの父の行きつけクリニックを半強制的に私が予約。母は朝から寝ていたそうだから、父には午後にはいくよう何度も説得してもらった。しかし父は、どうしても母に負けてしまうのでまた病院へ行けなかった。そんな時、母の友達ご近所さん若夫婦が、母の様子を見かけびっくりし、手を差し伸べてくださったのです。「強引にでも病院に行かせましょう!」この言葉が私の心を奮い立たたせました。取り急ぎ【#7119】という救急車を呼ぶか迷う時に相談する番号へ父に電話してもらうよう説得でき、これをきっかけに救急車を呼ぶことに成功。父を動かせたのは#7119にかけ「  そんなこと言っている場合じゃないでしょ    」と電話ごしに診療してくださった先生叱られたから。母と二人きりの生活で、じわじわと自覚症状なしにはじまった介護生活。病院に行かず行かせずの介護なんてどうかしていることに、やっと目が覚めたようだった。


  救急車を呼ぶ時

救急車を呼ぶ前日、父とは、830~900の間に救急車を呼ぶことを決めた。父が呼ぶこと出来なければ私が呼ぶと決めて、(ちなみに実家は私とは県またぐが救急車は呼べる)父からの電話を待機していた。9日845頃、父からの連絡はなく、なぜか母の友達のご近所さん若夫婦から連絡あり「今、家に救急車来て、病院を探しています」と状況連絡をして下さり助かる。救急車の音で駆けつけて下さったようです。母はご近所さんに恵まれている。


  めでたく病院へ

ご近所さんのおかげもあり、強引にでも病院へ行かせることが出来た。85歳の父が無意識でずっと介護を母付き添うなんてかわいそう。

1つ目の病院で脳と身体のレントゲン検査すると脳は問題なし。そりゃ、運転講習で認知症テスト合格してるから大丈夫なわけで。でも内臓は見過ごせなく、すぐ転院になり手術を受けるための入院がはじまった。


  はじめての入院

9日、0845救急車により最寄り病院まで搬送。 1400頃、病院は1度だけ手術のために転院。母の友達若夫婦が父と一緒に入院の手続き、診断結果説明まで付き添っていただく。


  はじめての用意

翌日から担当看護師さんより、ボディクリームの用意を頼まれニベアを購入。

  介護保険申請

入院の日、すぐに介護保険申請してくださいと病院からススメられる。申請には一か月前かかるので早めに相談しに地域の社会福祉センターへ行く。ここで定めた3月20日に介護保険調査員が病院に行きランク判定。要介護認定されるとランクに応じ色々なサービスをうけることができる。


  恐ろしい診断結果

膀胱癌が発症

周辺臓器炎症

転移は肺

よって末期


  手術の方法

救急搬送から四日後手術の日が決まる。 それほど悪いのだ。 外科・泌尿器科のそれぞれ執刀医が出る。

 外科的手術

カテーテルを通す。

大腸と小腸バイパス手術。

 内科的手術

尿管を膀胱から外す。

まとめた人工尿管をストーマに。


  手術の日、家族は

3月病院から電話いただき13:30~立ち会いに。


1330手術のため集まる時間


おじいちゃんと子どもと3人、ご近所さん若夫婦に送迎してただく。初めは四階ラウンジで待つことに。 頼まれていたニベアクリームを担当看護師さんにお持ちすると 今度は病院の売店で セキューラ Po という塗り薬を 注文頂く それで初めて病院の売店に行くと食べ物も売っていたので 父と子どもに海苔巻きとサンドイッチを買う ラウンジで 飲み物を飲みながら食べてもらう。


  手術入室前

まもなく 今日担当の看護師さんが来て 手術の説明をいただく。手術入室前の立ち会い人は1人だけで、看護師さん的には私のが良かったみたいですが、父が母に会いたがっていたので父に行くことしてもらう。


1430二階ラウンジ 手術開始(入室時父立ち会い)


当初会えない予定が会え、良かった。母は、先生やまわりの方と話をしていたようで、意識がはっきりして「家では雑に扱われた」など父に遠回しな皮肉言ったりまわりの先生たち笑わせていたそう。病気になってもワガママが治っていなくてこれから大変だね~と父と話す。


1500父と子どもで外食へ

1600外科手術の最中とアナウンス

1630送迎きてくれる

2000子どもと送迎若夫婦に軽食を注文し買いに行ってもらう。

2130手術終わり父と私面会。


  手術翌日ICU1泊


次の日二階一般病棟へ。