本が読めない日々が続いている。
師走というわけでもないが、気力がないのと日常を維持するだけで満足している自分がいる。
個人的に嫌なことが続いているのもあるし、世の中戦争で満ちているし。
いやんぬるかな。
「五月」アリ・スミスを読む。
「変愛小説集」所収。
「あのね。わたし、木に恋してしまった。」
直球の変さである。
なんか70年代のマンガのようでもあるけど、コミカルなところがないのが変というより怖い。
たぶん、世の中にはこういう人もいるような気がする。
「ファウスト」手塚治虫を読む。
昭和24年版のもの。
ディズニーぽくて明るくて、かわいい。
ただテーマとしての悪魔物語がこの時期に描かれているのだが、果たして西洋の骨格のような
ものが受けたのだろうか。
「来るべき世界」手塚治虫を読む。
タイトルからして、ウェルズのような近未来SF。
昭和26年の作品なんだけど、SFといってもこの時代のアメリカSFには影響受けてない
感じの、ウェルズ本来の未来を想像することに影響を受けてる感じ。
アニメ「ルックバック」をみる。
これも不登校の話であるけれど、いまの日本の様々な問題というか事件が描かれている。
京都アニメーション放火殺人事件が思い起こされるが、静かな青春と狂気が交差している。
ふだん、「青のオーケストラ」とか「響け!ユーフォニアム」などのアニメを見ていると、
まったくの別世界がここにある。
というか、どちらも現実には存在するので、自分の経験がどちらを選ばせるのか、
ということだろう。
この漫画家の「チェンソーマン」は5巻ぐらいまで読んだけれど、やはりその暴力的な
描写に病んでしまう。
タランティーノの映画同様、その過剰さに食傷してしまう。
でも、この「ルックバック」も過剰な部分に対して歯止めはかからないが、
ふたりの絵描きの直情さに飲まれてしまう。
違和感があったのは、藤野が京本の死をきっかけに、ありえたかもしれない、もうひとつの
世界を描いているところだ。
過去を変えようとしているのか、変えたいと思っているのか、京本の死を阻むことがなにを
示そうとしているか、それが引っかかっている。
