こういうことって、なかなかできませんよね…
でも、笑顔、心の底から溢れる笑顔って、お金を出して買うものじゃないんですね…
ちょっとした、気遣いだったり、親切だったり…
見ず知らずの人にそれをやることは難しいかもしれませんが、身近な人にはできるかもしれません…
これまで時代の流れとそれに対して私たちがどのような思考を持ってしまうのか、その因果関係を見てきましたが、たまには結婚とか愛についても考えてみたほうがいいですよね…
さて、前回のお話で未来的思考は与えることだという話をしましたが、あなたは愛というものについてどのように考えていますか?
まあ、哲学ではありませんので、そんなに深く考える必要はありません。
ただ、その辺りも少し考えておかないと、実は結婚した後、つまり結婚生活にも大きく影響してくるのです。
私は若い頃、愛情というものは何もしなくても一生続くものだと、思っていました。
愛しているという感情は、絶対に消えることなどないと思っていました。
でも、違っていました…
私の場合ではありますが、実は結婚式を境に愛情がどんどんと冷めていってしまったのです(苦笑)
これは、事件です!
かなり、ショッキングな出来事でもあったのです…
でも、今考えてみると、それは当たり前の事だったのです。
それは、私は何もしなかったからです。
世界の有名な文学にも愛というものが登場していますが、そこに描かれている愛とは感情ではないのですね…
愛とは動詞、つまり行動だという事です。
いやあ、これを知ったのは離婚してからの事でした…
私は、後頭部を思い切り殴られた感じがしました(苦笑)
ですから、学ぶという事は大切な事なのです…
その時はつくづくそれを痛感しました。
さて、ではあなたは愛というものをどう思うのか…まあ、休日の昼下がり、コーヒーでも飲みながら考えてみるのもたまにはいいですよ。
では、私がどう考えているかをお話していきましょう。
まあ、これは正しいのか正しくないのかはわかりません。
あくまで、私の個人的な意見ですので、軽く聞く程度にしておいてください…
私は、愛というのは〝娯楽〟だと思っています。
いやあ、またまたふざけたことを…と少し腹立たしく思われているかもしれませんが、まあ最後まで聞いてやってください。
娯楽という漢字は、「娯」と「楽」という二文字を使っています。
そして、「娯」という漢字ですが、これは「女」編に「呉」と書きます。
この「呉」という字の語源は、〝楽しい〟というものです。
つまり、「娯」という字は〝女性が楽しむ〟ということを表しています。
しかし、私は〝女性が楽しむ〟ではなく、〝女性を楽しませる〟ではないかと考えているのです。
つまり、〝女性を楽しませる〟から自分も〝楽しい〟、これが「娯楽」という言葉の本当の意味ではないかと思うのです。
つまり、「愛が娯楽だ」とするその裏には、〝女性をいかにして喜ばせられるのか、そして自分がいかに喜ぶか〟という意味があるのです。
喜ばせるからには、まず自分から与えなくてはいけません。
そして、その女性の喜ぶ姿を見ることで自分も喜べるのです。
そのように考えているから、女性に対し与えることをまず考えます。
見返りを求めているわけではありません。
目の前の女性がどうしたら喜んでくれるのか、そこに焦点を定めるわけです。
そして女性が喜ぶ姿を見ることが嬉しく思うのです。
見返りを求めてしまうと、自分がここまでしているのに、どうして好きになってくれないの?となってしまいます。
でも、見返りを求めない事こそが、愛だと思っているのです。
つまり、愛とは娯楽なのです。
ですから、あなたも愛について考えてみてください。
そして、自分なりの答えを見つけてください。
私が、どうしてこんなことを言うのかというと、そうすればブレることがなくなるからです。
しかし、まずほとんどの人が、そんなことを考えません。
だから、ブレるのです。
ブレるから、相手が不安を感じます。
心に思っている事、自分が感じている事というのは、必ずあなたのどこかに反映されます。
そんな人と付き合う気になれるでしょうか…
あなたも常に不安を抱えている人とは付き合おうとは思いませんよね…
これは、あなたがブレずに、しかも相手に安心感を与えるためなのです。
それが、あなたの独自性、つまりオンリーワンになる方法の一つなのです。
さて、前回のお話で未来的思考は与えることだという話をしましたが、あなたは愛というものについてどのように考えていますか?
まあ、哲学ではありませんので、そんなに深く考える必要はありません。
ただ、その辺りも少し考えておかないと、実は結婚した後、つまり結婚生活にも大きく影響してくるのです。
私は若い頃、愛情というものは何もしなくても一生続くものだと、思っていました。
愛しているという感情は、絶対に消えることなどないと思っていました。
でも、違っていました…
私の場合ではありますが、実は結婚式を境に愛情がどんどんと冷めていってしまったのです(苦笑)
これは、事件です!
かなり、ショッキングな出来事でもあったのです…
でも、今考えてみると、それは当たり前の事だったのです。
それは、私は何もしなかったからです。
世界の有名な文学にも愛というものが登場していますが、そこに描かれている愛とは感情ではないのですね…
愛とは動詞、つまり行動だという事です。
いやあ、これを知ったのは離婚してからの事でした…
私は、後頭部を思い切り殴られた感じがしました(苦笑)
ですから、学ぶという事は大切な事なのです…
その時はつくづくそれを痛感しました。
さて、ではあなたは愛というものをどう思うのか…まあ、休日の昼下がり、コーヒーでも飲みながら考えてみるのもたまにはいいですよ。
では、私がどう考えているかをお話していきましょう。
まあ、これは正しいのか正しくないのかはわかりません。
あくまで、私の個人的な意見ですので、軽く聞く程度にしておいてください…
私は、愛というのは〝娯楽〟だと思っています。
いやあ、またまたふざけたことを…と少し腹立たしく思われているかもしれませんが、まあ最後まで聞いてやってください。
娯楽という漢字は、「娯」と「楽」という二文字を使っています。
そして、「娯」という漢字ですが、これは「女」編に「呉」と書きます。
この「呉」という字の語源は、〝楽しい〟というものです。
つまり、「娯」という字は〝女性が楽しむ〟ということを表しています。
しかし、私は〝女性が楽しむ〟ではなく、〝女性を楽しませる〟ではないかと考えているのです。
つまり、〝女性を楽しませる〟から自分も〝楽しい〟、これが「娯楽」という言葉の本当の意味ではないかと思うのです。
つまり、「愛が娯楽だ」とするその裏には、〝女性をいかにして喜ばせられるのか、そして自分がいかに喜ぶか〟という意味があるのです。
喜ばせるからには、まず自分から与えなくてはいけません。
そして、その女性の喜ぶ姿を見ることで自分も喜べるのです。
そのように考えているから、女性に対し与えることをまず考えます。
見返りを求めているわけではありません。
目の前の女性がどうしたら喜んでくれるのか、そこに焦点を定めるわけです。
そして女性が喜ぶ姿を見ることが嬉しく思うのです。
見返りを求めてしまうと、自分がここまでしているのに、どうして好きになってくれないの?となってしまいます。
でも、見返りを求めない事こそが、愛だと思っているのです。
つまり、愛とは娯楽なのです。
ですから、あなたも愛について考えてみてください。
そして、自分なりの答えを見つけてください。
私が、どうしてこんなことを言うのかというと、そうすればブレることがなくなるからです。
しかし、まずほとんどの人が、そんなことを考えません。
だから、ブレるのです。
ブレるから、相手が不安を感じます。
心に思っている事、自分が感じている事というのは、必ずあなたのどこかに反映されます。
そんな人と付き合う気になれるでしょうか…
あなたも常に不安を抱えている人とは付き合おうとは思いませんよね…
これは、あなたがブレずに、しかも相手に安心感を与えるためなのです。
それが、あなたの独自性、つまりオンリーワンになる方法の一つなのです。
東日本大震災から、早いものでもう4年がたちました…
今もなお、仮設住宅などで生活を強いられ、生活に苦労されている方がいらっしゃいます…
私の住まいは埼玉県ですから、しかも田舎に住んでいますから、全くと言っていいほど被害はありませんでした。
それでも、あの時の大きな揺れは、いまだに思い出すだけで鳥肌が立つ思いです。
それまでも、色々とブログはつづっていましたが、あの日以来、どうしても記事を更新することができませんでした。
苦しんでいる人がたくさんいる中で、私はこんなことをしていいのだろうか…
そんな想いがパソコンに向かう気力を奪っていました…
だからと言って、私が何か特別なことをしたわけでもありません。
できることと言ったら、ツイッターで行方不明者情報を拡散したり、少ないお金を募金するだけ、その程度しかできなかったのです。
いまだに、自分が何ができるのかもわかりません…
口に出して言うことは簡単です。
頑張ってください…
元気を出してください…
負けないでください…
でも、それで多くの方々が救えるのか…
悔しいし、情けないし、自分にこれほど力がないなんて…
私にできることはたかが知れています。
でも、ほんの少しでも、誰かの力になれれば…
これからも、自分にできること、それを考えていきます。
今もなお、仮設住宅などで生活を強いられ、生活に苦労されている方がいらっしゃいます…
私の住まいは埼玉県ですから、しかも田舎に住んでいますから、全くと言っていいほど被害はありませんでした。
それでも、あの時の大きな揺れは、いまだに思い出すだけで鳥肌が立つ思いです。
それまでも、色々とブログはつづっていましたが、あの日以来、どうしても記事を更新することができませんでした。
苦しんでいる人がたくさんいる中で、私はこんなことをしていいのだろうか…
そんな想いがパソコンに向かう気力を奪っていました…
だからと言って、私が何か特別なことをしたわけでもありません。
できることと言ったら、ツイッターで行方不明者情報を拡散したり、少ないお金を募金するだけ、その程度しかできなかったのです。
いまだに、自分が何ができるのかもわかりません…
口に出して言うことは簡単です。
頑張ってください…
元気を出してください…
負けないでください…
でも、それで多くの方々が救えるのか…
悔しいし、情けないし、自分にこれほど力がないなんて…
私にできることはたかが知れています。
でも、ほんの少しでも、誰かの力になれれば…
これからも、自分にできること、それを考えていきます。