と、こんなことを書くと、またあいつは何を言ってんだ!と言われそうですが、まあそこは我慢を!
ということで、皆さんは時間というものをどう考えていますか?
まず多くの方は、過去から現在、そして未来へ流れていくものだと考えていますよね?
私たちの時間の観念とはユダヤ、キリスト教伝統的な時間感を基準に考えています。
つまり過去から未来に流れるというものです。
ビッグバンから始まり、地球が誕生し、そして人類が生まれて現在に至ると考えられています。
それは、創造主、つまり神という存在すべてを司り、それを引き起こし現在まで至っているというように考えられています。
つまり、すべては過去に原因があり、その結果、今の現在があるという考え方です。
ですから、不慮の事故で亡くなったとしても、神の思し召し、すべては神が決められたこととなるわけです。
すべては神が決定したこと、これからのことも神が決められたことになるわけです。
つまり、私たちには選択の余地がないということになってしまいます。
私は別に神を否定するわけでも何でもありません。
宗教の自由はありますから、それは否定しません。
ただ時間に関する概念だけは、変えてもかまわないのではと思います。
さて、橋の上には3人の人が立っていました。
3人はそれぞれ、別の方向を見ています。
一人は上流、一人は橋のたもと、そして一人は下流です。
そして上流から、ある関係性から二千円札、五千円札、千円札、一万円札の順番で下流に流すとします。
さて、上流を見ている人は、関係性がわかっているために、3番目に流れてきた一万円札を拾います。
これは当然ですよね。
さて、問題はここからです!
橋のたもとを見ていた人です。
最初に二千円札が流れてきたのに拾い上げませんでした。
次に流れてきたのは五千円です。
しかし、ここでも手をつけませんでした。
そして、千円札を拾い上げました。
最後は川の下流を見ていた人です。
彼は、ただ黙ってお金が流れていくのを眺めているだけです。
拾い上げたくても、流れていってしまったものはどうしようもありません。
ただ黙って、そのお金がどこに流れていくかをじっと見つめるしかありませんでした。
先日のスリー・タイム・フレームはこの状況とまったく一緒ですよね?
未来を見ている人は、何がどのような順番で流れてくるかを予測することができます。
そのために一万円札を拾うことができました。
しかし、橋のたもとを見ている人は、最初に二千円、次の五千円、だから次は一万円かなと思って拾い上げたら千円だった、ということです。
そして、下流を見ている人は、ただ流れる様子を見守るしかありません。
いつも下流しか見ていないために、当たり前といえば当たり前です。
さて、皆さんはどの人になりたいですか?
もちろん川の上流、つまり未来を見ていたほうが、どれだけお徳かはわかりますよね?
では、ここでもう一度、橋のたもとを見ていた人に戻ります。
最初に二千円札が流れてきたときに、躊躇しました。
その次に五千円札が流れてきました。
ここでも躊躇しました。
そして千円札を拾い上げたとき、どう思うでしょうか?
あの時五千円札を拾わなかったから、千円札が流れてきてしまったと思うでしょうか?
しかし、五千円札と千円札が流れてきたことの関係性はまったくありません。
というよりもわかりませんよね。
どうして五千円の後に千円なのかさえもまったくわかりません。
わかっているのは上流を見ていた人だけです。
彼にはその関係性が見えていたから一万円が拾えたんです。
つまり先に流れてしまった五千円札と千円札との間に、つまり過去の出来事と、これからやってくる出来事との間には因果関係はないのです。
正確にはわからないのです。
もしかしたら流れてこない可能性のあったのですから。
過去へ流れ去った五千円は何の影響も与えません。
どんどんと離れる一方です。
影響を与えるのは、これから流れてくる千円札なのです。
ということは過去に縛られる必要もないということです。
過去は解釈で、どうとでも変えられます。
過去の出来事自体は変えられませんが、その解釈なら変えられます。
これからやってくる未来が素晴らしいものになれば、あなたの過去も素晴らしいものに変わる、ということです。
ということは、過去を変えるのは未来だ、ということも言えるでしょう。
つまり、未来に眼を向ければ、過去などどうとでも解釈できる、つまり、過去なんてこれからの未来に、なんら影響を与えることなどない、ということです。
皆さんにも、大きい小さいにかかわらず、多少の傷をお持ちだと思います。
そういう私も傷だらけです。
しかし、その傷は私たちの未来には影響など与えない、与えられるはずなどないのです。
それを未来に持ち出してしまうから影響があると考えがちです。
以前は私も思っていました。
私には離婚歴があります。
その離婚のために、周りの人を傷つけたことは事実です。
そして、しばらくの間は、本当に隠居生活みたいなものを送っていました。
それが周りに対する償い、周りとの連絡を絶つことが償いのように思っていたからです。
しかし、それは違います。
もちろん反省は必要です。
しかし、これから人生を生きていくこと、将来幸せになることと、離婚はまったく関係性はないのです。
あるとすれば、この先結婚するであろう女性が、離婚歴があることを気にするか、しないかだけです。
さて、では次回のお話は〝時間の流れに見る婚活必勝法〟です。
ここまで話せば、感の良い方はお気づきではないでしょうか?
しかし、この話をすべての方に公開するのはかなりの問題があります。
なぜ問題があるのかも含めてお話します。
そこで、この話は〝アメンバー限定記事〟にさせていただきます。
しかも一週間後には削除させていただきます。
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