数日前にあとから気づいたのですが
母から着信があった
こちらから掛けなかったら
向こうからもありませんでした
私も立派な親ではありませんが
娘を産んでから
更に母を理解出来なくなりました
私と娘は一卵性母娘みたいに
似ている為
よく喧嘩をします
その時は本当に苛々しますが
それでもやはり娘は可愛いもんです
この娘に酷い事をする様な輩が居たら
『どうしてくれよう』位に
思ってしまう程に
自分の子は可愛いです
なので自分の為に
凄まじい暴力の渦中に
自分の子等を残し
一人で夜働きに出る母を
理解する事は到底無理でした
それでも子供は
『"母"を乞ううる』のです
"ちゃーちゃん"と呼んでました
私は
"ちゃーちゃん"を幸せにしたい
ずっとそう思って
生きていました
20代前半位まで
続く
【閲覧注意】"母"を乞ううる人…⇦最初から読んで下さる方へ
機能不全家庭に産まれ育った私は、恋愛をしてもやはり上手くいかずにいました。
人間関係は良い時もありましたが、空回りし上手くいかない事が多くなっていきました。
そんな中、書物を読み漁り、氣功、チャネリング等を受けたりしながら、少しずつ自分が何故、この様な家庭に産まれ育たなければならなかったのかを、自分なりに理解する様になっていきました。
それでも本当にあの親を許せるには相当な年月が掛かる訳ですけど、そしてその後も、母と姉の"二重奏"に相変わらず苦しめられる訳ですが、やはりあの二人が無ければ私はこうは成らず、大病に向かい合う勇氣も持てずにいた様に思います。
中学三年の冬に『殺せるものなら殺してみろ!』と神かも解らない何かに挑戦をした時から、私の長い旅は始まっていたのかも知れません。
いや、もっとずっと前から始まっていたんだと思います。
この記事をいつまで書き続けていようかと、直ぐにでも終わらせたい氣持ちになります。
ただこの人生の中で、こういう家庭に産まれたのは必ず意味が有り、そしてその中で培われた何かを活かして、生きていく使命が有るのでは無いかと考えてます。
今日も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました🐉