"命"のこと… | おしゃべり魔女マダム・ジョワイユの petit Lenormand

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占いはあくまでも不確定な未来を予測しているに過ぎず、結果は自らのポジティブな行動によってのみ生まれる。

そして、その行動がポジティブならば、その結果は一見ネガティブな状況に見えても、数年後必ずポジティブな事だったと自ら氣付く事になる。

Bonjour雨汗



嵐の様な夜


街は洗濯された様


またグンと


春に近付いた


週末、金曜日です



キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2キラキラ2



病気になってから


否応もなく


"死"について考えさせられました


元々、子供の頃から


"死"というものは私の身近にあった氣がします


"因果応報"とか"輪廻転生"とか


そういう事は私の生き方や生活にずっと根付いていたのでした

それは幼少期の劣悪な環境や


その為なのか自尊感情の低さから


深く考え込む性質からも


仏教や宗教そして精神世界にのめり込み


今がある訳ですが


人が一生の内に経験する事の中での


"幸、不幸"


歓喜する程の幸福感や


身を捩りながら苦しむ程の不幸に


見舞われるのは何故なのか


誰でも不幸にはなりたくない


しかし


不幸は突然やってくる


と言うか


私の場合は物心ついた時は


もう家の中に嵐が吹いてましたが。笑


ところが皆さん


どうやらその"幸、不幸"


色々な人生の出来事も


みぃんな


自分で決めてきているらしいのです


そ〜んな訳ないだろ!


いや


私なりに色々と勉強し経験もさせて頂きましたが

やっぱりな〜


そうだったんだな〜


結局、此処に帰ってきたんだ〜


そんな感じになりました。笑


"命"というのは


自分の為に有る訳ではなく


最期にはその生き様で


人に何が与えられるか


そしてどれだけ


研鑽したか


苦しみの中で


人の痛みを知り


人の温かさを知り


何故、こうならないとならなかったのかを


深く熟考する


そうすると見えてくるのは


それを"経験"する必要があった


それが無ければ


今の自分は無いとさえ言える


そんな風に変わっていく様に思います


"命"というものは


"使う"ためにある



"命"を使う



今日もまた


"命を使う"一日が始まりました






今日も素晴らしい一日ピンク薔薇


お付き合い頂き、ありがとうございました天使ベルキラキラ



ベルお知らせベル

こちらでルノルマンカード・リーディング始めましたトランプハート今月は7日、14日、21日、28日(毎週水曜日)12時〜17時ですおとめ座ベル皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます虹キラキラ
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