「戦後生まれ」の私にとって、自己愛(ナルシズム)の強い日本人には「近時の日本の本当の姿」が見えていない、または見たくないので目を背けており、無理やり「さすが日本、さすが日本人!」ばかりに目を追っているような気がします。
"Japan As No.1"という本が売れ、バブル景気に沸いた1980年代、日本人は経済が低迷し、深い社会問題を抱えた米国との貿易摩擦問題をうけて「短期的、狭溢な発想や視点しか持てない米国は、長期的、幅広い発想と視点を持つ日本には勝てない」等と嘯(うそぶ)いていましたが、今や
Shame on you, the same to you!
と言われないでしょうか?バブル崩壊後30余年、時間のかかる国家的施策である次の(たった)3点
(1)社会インフラ-日本の主要インフラは昭和39年の東京オリンピック前後に構築され、その後大きく改変されず、老朽化して時々大きな事故を起こしています。21世紀における向後半世紀を乗り切る社会インフラはどういうものか論議、決定の上で、その構築の為に長期計画を立て、予算措置をしている、という話はついぞ聞いたことがありません。
(2)社会保障システム-「65歳以上が人口の6%弱」であった2世代(矢張り東京オリンピック前後からの5 - 60年)前から人口構成は大きく変わり、65歳以上が人口の1/3、75歳以上が1/4を占めるようになりましたが、社会保障システムのフレームワークは大きく変わっておりません。私が社会人になった1978年に「お前の年金はないからな」と先輩社員に言われたような、この予見可能な問題にどいういう長期的視点、社会コスト予測と負担の有り様を持つべきか、政権は論議を尽くし、国民は十分に教化されているでしょうか?
(3)教育-日本の最終且つ最大の資産・資源は主権者たる国民です。この国民の生活と活動を支えるものが上述の2つですが、それ以上に国民はどのような知識(情報資産)を持ち、どのように、又どの程度迄処理(思考)でき、その成果をどのように表出(表現・伝達)すべきか、という「変化する環境に対応する教育の在り方」(方針)が論議され、合意されているのでしょうか?従来日本の教育は「定型の問いに対する答えを記憶する」点で優れていましたが、ネットワーク上で知識(情報)が自由に入手できる現在「問いの有無、その本質を見出し、解法を検討、構築し、その説明を行える」思考能力こそが今後求められてくるのではないでしょうか?又音声認識・翻訳・音声出力の技術が発達し、言語障壁が低くなった現在、表現・伝達(コミュニケーション)の有り様と教育を考えなければならない段階に来ていないでしょうか?まぁ、「国民(注)」を「表見上の日本人」に限定し、排外傾向を強めている現在、単なる労働力という意味のみならず、長期的視点、国際競争力の観点から「日本国の市民権を取得し、日本国に貢献したい人的資源の確保」がどれだけ重要であるか、もっと立法府は論議を尽くし、国民に開示すべきでしょう。
注:「国民」の一般的、辞書的な意味は「国家を構成し、国籍法に基づき国籍を有する者。国政に参与する地位では公民または市民」であり、公民権、市民権を持つ人間すべてを言います。(国籍法は、日本国憲法の第3章「国民の権利及び義務」第10条「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」の「法律」のことで、国籍の取得原因を「出生」「届出」「帰化」としています。<ご参考>国籍法Q&A、日本は移民国家になりえるのか)
を振り返るだけでも、肝が冷える思いです。
既に古希を過ぎ、明日死んでもおかしくない年齢となり、社会の中心的存在ではなくなった為に「まぁ、みなさん頑張ってくれ」というしかないのですが、それでも過去「美しい日本」といったどこぞの宰相が導いた「現在の日本」を正しく認識する意味で、次の記事が目に留まりました。
【前編】「お家芸のカメラすら中国に追いつかれ…」「スマホでは中国、韓国に完全敗北」 なぜ日本は「オワコン」と化したのか
【後編】「日本人女性は外国人からすると“割安商品”」 日本人男性は「立ちんぼ」との交渉でも断られ… なぜ日本は「オワコン」化したのか
どうせ、「このように自国を偽悪的に描写するのは非国民」と、直ぐに消される記事でしょうから、関心のある方は早く読んでくださいね。