前回書いた通り、当時の普通の中学生、高校生として(要すれば、外国には縁のない)過ごしてきた私は、これまた当たり前のように大学受験を迎え、エンターテインメントが減少し、「外国もの」との接点も少なくなりますが、一方上の兄(注1)の強い勧めがあり、受験勉強は「旺文社大学受験講座」だけしかやらず、同時に深夜放送で洋楽も聴いていました。(注2

注1:余談ですが、彼は当時の所謂ツッパリで、高2で悪ガキどもと停学を食らい、高3で高1の私に英語を教わっていたのですが、現役で(担任教師によれば「これしか受からない」という)1校合格後、5日で退学し、その後浪人して猛勉強の上、早稲田、慶応 x 2、東京理科、上智の5校全制覇という快挙を上げました。

注2:当時忘れられない曲には以下などがあります。

Leon Russell - Tite Rope, Song for you

Helen Reddy - Angie Baby

Roberta Flack - Killing Me Softly With His Song

 

テーマからそれるので結果だけ記せば、自信満々のマークシート試験で「滑り止めの早稲田」を落ち、落ち込んで受け「だめだっ!」と思った志望校の国立大に受かりました。

 

Lucky Me (How lucky I am)

 

もっと喜んだのは親父で、彼は経済的事情から大学にゆけなかったため「教育こそ本当の遺産(相続財産)」という考えをもっており、(上の兄は数十万円かかったのに)入学金、年間受験料ともに36,000円注1)しかかからなかった私が「可哀想だ」ということで、(何処で仕入れてきたのかわかりませんが)突然勝手に(予告なく)UNICEF主催の青少年の国際理解教育の為のツアー(注2)を予約してきました。(驚!

注1:1973年の平均初任給62,300円、物価ではカローラが約53万円〜70万円14インチカラーテレビが約9万円台、一戸建て家屋が概ね1,000万円強程度でした。

注2:確か取引先の信用金庫からの情報で、覚えているのは「学生一人50万円かかる、15日間でイギリス・ロンドン~フランス・パリ~西ドイツ(当時)・フランクフルト~オーストリア・ウィーン~イタリア・ローマ(ミラノから太陽道路で、ローマはバチカン市国も訪問)までのツアー」で、確認の為にネットで調べてみましたが、当時日本ユニセフ協会は国際理解教育活動を行っていたこと以外は具体的な情報は得られませんでした。

 

えっ、外国!(嬉しさよりも、不安と惧れ)

 

というのが、当時の偽らざる心情でした。又、一般人が海外旅行ができるようになってからまだ9年目、ということもあり、渡航手続きは煩瑣を極めます。

  • 旅券-パスポートは単次旅券で、確か5,000円程したと記憶してます。数次旅券は「(1万円位して高い!し)もう行かないだろう」ということで単次旅券になりました。
  • 査証-ビサですが、当時はすべての国のビサ(1ヶ国3,000円位)が必要でした。
  • 予防接種-如何に高度成長期の1973年で日本のGNP(国民総生産)が西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ西側第2位になったとはいえ、まだまだアジアからの渡航ですからコレラ、天然痘、チフス、ペスト等に係る国際予防接種証明書(イエローカード)が入国条件でした。
  • 旅行小切手-サイン+カウンターサインが必要なトラベラーズチェック(現在は死語?2014年から発行されていないらしい)のことで、限度額いっぱいの$500-当時は「360円/US$」なので18万円-をThomas Cookのもので用意したと記憶しています。

18歳になって、生まれて初めてのパーマをかけ、まだ冬が明けない欧州なのでこんな風Maxiのトレンチコートを着て、上の兄に唯一の国際空港である羽田まで車で送ってもらったことを覚えています。

 

当時英語は受験英語で、「読み、書き」はできても「しゃべり、聴き」は覚束なく、その他の国の言葉は挨拶(e.g. "Bon jour" in French)と「いくら? e.g. "Combien?" in French」位を旅行本で調べました。(欧州国の歴史等は世界史の授業程度しか知識がなく、文化等は全くの無知でした。)

 

 

で、

 

少しは「外国」と接することができたのかというと、

 

そんなことは全くなく

 

ただただ(今の言葉でいえば)

 

訳分かんなかったけど、スンゲー

 

ということだけで、旅行後の印象(と言うか、私にとっての事実)は、

  • イギリスは食事が本当に不味い(悪食の18歳男子でも、食べられたのがモーニングロールと紅茶だけ)
  • フランスは水がなく、風呂が使えない(小さなバスタブに、紐を引いて如雨露のお湯を垂らす感じ-なお、飲料水もないので、ビールとワインばっかり飲んでいました)
  • 西ドイツはビールがうまいが、食事はジャガイモと豚肉だけ(フランスから酒浸りになりました!)
  • イタリアは文句なく何でも美味い、生まれて初めて食べたドラッグストアのピザに感激(勿論イタリアワインやビールも)
ということで、(高尚な社会と文化等はお留守で)結局は
 
「飯と酒」
 
の記憶しかないです。(爆)
 
ps. 因みにこの旅行は「沈まぬ太陽」にも出てくる、地獄|恐怖の「JAL南回り欧州便(所要28時間)」で、バンコク、ドバイに立ち寄り、数えきれないくらい矢鱈機内食を食べ腰が痛く(事実、反対向きに搭乗席に正対して寝ていました)閉所恐怖に陥り、飛行機から飛び出したくなったのをよく覚えています。改めてこの便(どうもロンドン行きのJL462便らしい)の中継地は、
  • 羽田空港(東京) 【出発】
  • 啓徳(カイタック)空港(香港)
  • ドンムアン空港(バンコク/タイ)
  • 国際空港(ドバイ/アラブ首長国連邦)
  • ヘリニコン(エリンニコン)空港(アテネ/ギリシャ)
  • フランクフルト空港(当時の西ドイツ)
  • ヒースロー空港(ロンドン/イギリス) 【到着】
であったようです。