前回書きましたように、1980年代はまだ家庭用は8Bitで、16Bit機は(値段からも)ビジネスシーンに限られていました。

実際、私も(お金がなかったので)「MS-DOS読本」のような本(だけ)を読んでコマンドやバッチ処理等を学習しましたが、「ペーパーユーザー」で実際にMS-DOSマシンに触れる機会は店頭のデモ機くらいでした。

 

今でも覚えている最初に16Bit機械を実際に使った機会は、1986年によんどころない事情で出社した日曜出勤の時でした。午前中に仕事は終わったのですぐ帰れたのですが、前々から「インテリジェントオンライン端末(要すれば日本の第一次オンラインのタイムシェアリングシステムのテレタイプではなく、メインフレームからぶら下がった和風MS-DOSマシン)」を「ユーティリティディスク(8インチフロッピーディスクという64KBのペラペラディスク)」でスタンドアロンで立ち上げてみたい、という思いがあったのです。平日はいつも忙しかったので、その思いはかなわず、この日曜出勤が丁度よい機会でした。

 

さて、ユーティリティディスクでインテリジェントオンライン端末を立ち上げると画面には"MS-DOS Ver 2.0 Copyright by Microsoft Corporation"と出るじゃありませんか。さっそくペーパー知識を総動員して"dir"だの、"copy"、"rename"、"del"だのDOSコマンドを打って確認し、メーカーが用意したCUIベースのワードプロセッサーやスプレッドシートを使ってみました。(使い勝手?まぁ、敢えて名を秘しますが『日〇』さんのソフトウェアは、その後会社が導入したグループウェアを含め、余り...。)

 

本格的に使うようになったのはその2年後の1988年に海外業務を担当するようになって、純正の日本語IBM PC/2(即ち日本語PC DOS = MS-DOSマシン)が使えるようになり、俺ス本デンスで日常的に英文ワードプロセッサー(Word Star)とカード型データベースを使うようになってからです。この時は(日曜出勤でも)仕事が忙しすぎてIBMマシンで遊ぶことなど考えられもしませんでした。

 

そして3年後の1991年に米国現法の経営(と同時に現場業務遂行)の為に米国に赴任します。

 

この時は前任者と協議し、東芝の(日本語MS-DOSと英語MS-DOSが共に走る)ラップトップパソコンとCUIベースの「ワープロ」「表計算」「データベース」が入った統合ソフト日本語Microsoft Worksを日本の秋葉原で最安値で(米国現法名義で)購入し、赴任時に持ち込むこととしました。(この時の東芝のインテル80286(注)デスクトップの値段が、雑誌の広告で45万でした。)

注:インテルチップの歴史の最初に出ていますが、本当は8086という悪名高きセグメント切り替えによる最大メモリーアクセス空間640KBのチップがあり、その後1MBまでアクセスできる、という触れ込みで出てきた「最新チップ」だったと記憶します。

 

米国に行ってびっくりしたのが、既にIBM互換PCが数多く出回っており、80286マシンだと(実際にプライべートで購入しましたが)12万位で、MS-DOS5、QuickBasic等が同梱され、更にその後16Bitmマシンで一般的となるWindows3.1も標準装備であったことです。こんなに安いので、80386、80486、Pentiumとアップグレードされる度に買い替え、自宅でdBaseIVで業務用システムを開発したり、ゲームで遊んだり、QuickBasicや(この時初めて購入した言語がBorland C++の原型となる)Turbo C++などでプログラミングもしていました。ある意味、この時はPCユーザー的に贅沢な時代でした。

 

その後伝手で日本語Windows3.1を購入し、(日本では販売されなかった)英語版Windows3.1 for Work Groupを切り替えて使用するようになり、日本語Windous環境で英語ソフトも走ることを確認しました。(もう日本から苦労して持って行った東芝の80286ラップトップは遅いし、使いづらいので2年でお払い箱になりました。)同時に、PtoPネットワークを業務環境に取り入れ、私、米国人社内弁護士、秘書2名でデータベースを共用するようになりました。(しかし、ソフト開発のみならず、各機械への導入や保守、ハード的には配線もすべて会社の最高トップの私自ら手作業で行い、ネットワークケーブルは床に這わせてガムテープで固定していました。)

 

まぁ、この時点で既に16Bitというよりは(ハード的には)32Bitの世界なのですが、ソフト的には相変わらず16BitのWindows3.xを使っていました。しかしWindows95の導入で本格的な32Bit時代となるのですが、日本においては1996年に帰国してから、ということになります。