ブログ記事一覧|真実の古代史 -5ページ目
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真実の古代史
千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。
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持統も大田皇女も百済滅亡の年(660年)に人質(采女)として鳥取県倉吉市に来ていた
中大兄王子は「豊璋」であり、藤原鎌足は「翹岐」である
飛鳥寺(法興寺)は新羅の皇龍寺をモデルにして建立された
原古事記にあった任那とは全羅南道の任那4県(上哆唎・下哆唎・娑陀・牟婁)のことであった
倭国に仏教を公伝したのは百済の聖明王(在位523~554)ではなく新羅の法興王(在位514~54
日本書紀・欽明天皇の段の「百済」と「新羅」は入れ替えられている
遣隋使について
伯耆民談記(1742年)とそれを否定する伯耆誌(1850年 )-孝霊天皇に関する由緒を例に
天忍穂耳命、長男の鐃速日命、次男の瓊々杵命について
筑紫国造磐井に賄賂を送ったのは新羅ではなく百済である
鳥取県大山中腹の奥の宮に神南備(大神山神社奥の院)を創建したのは崇神天皇(155年~258年)で
鳥取県西部の日御碕神社と大神山神社
伯耆国久米郡大神郷と大日本史につい て
天武天皇の后・妃・嬪・宮人について
「聖徳太子=蘇我善徳=蘇我入鹿」説について
難波津とは東郷池であり、難波の柏の渡りも東郷池にあった
「倭国在、東海中」とは、「倭国は日本海の沿岸にある」ということである
鳥取県湯梨浜町「引地」は本田善光が一光三尊阿弥陀如来を引き上げた地である
奈良は崇神天皇(155年~258年)の時より全国の代表者が集まって祭祀をする場所として始まった
日本書紀にある泊瀬山は奈良の初瀬山ではなく鳥取県倉吉市の打吹山である
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