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真実の古代史

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

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  • 鳥取県は東アジアからの移民を受け入れる玄関口であった。列島の王もここに居た。の画像

    鳥取県は東アジアからの移民を受け入れる玄関口であった。列島の王もここに居た。

  • 神功皇后の民間伝承のもとは豊鋤入姫命(台与)の伝承であったの画像

    神功皇后の民間伝承のもとは豊鋤入姫命(台与)の伝承であった

  • 倭姫命世記において豊鋤入姫の巡行した本当の比定地の画像

    倭姫命世記において豊鋤入姫の巡行した本当の比定地

  • 倭建命の白鳥陵は鳥取県湯梨浜町宮内の狐塚古墳であったの画像

    倭建命の白鳥陵は鳥取県湯梨浜町宮内の狐塚古墳であった

  • 天孫降臨は2回行われた。最初は饒速日・天照大御神・月読命ほか大勢であったの画像

    天孫降臨は2回行われた。最初は饒速日・天照大御神・月読命ほか大勢であった

  • 出雲大社のモデルは松江の田和山遺跡の5本柱遺構ではなく、湯梨浜町の長瀬高浜遺跡の巨大4の画像

    出雲大社のモデルは松江の田和山遺跡の5本柱遺構ではなく、湯梨浜町の長瀬高浜遺跡の巨大4

  • 穂積大王の次の大王(在位715年~734年)は鳥取県中部(倭国)にいたの画像

    穂積大王の次の大王(在位715年~734年)は鳥取県中部(倭国)にいた

  • 神武東征は不比等の創作であったの画像

    神武東征は不比等の創作であった

  • 神武天皇は山を穿って道をつけ、ゲリラ戦を展開していたの画像

    神武天皇は山を穿って道をつけ、ゲリラ戦を展開していた

  • 神武天皇の段にある「宇陀」とは鳥取県倉吉市高城地区(楯縫郷)のことであったの画像

    神武天皇の段にある「宇陀」とは鳥取県倉吉市高城地区(楯縫郷)のことであった

  • 兄磯城と弟磯城は事代主と百八十神(出雲族)の子孫であったの画像

    兄磯城と弟磯城は事代主と百八十神(出雲族)の子孫であった

  • 神武天皇の「島つ鳥 鵜飼いがとも」の歌の舞台は奈良ではなく鳥取県北栄町であったの画像

    神武天皇の「島つ鳥 鵜飼いがとも」の歌の舞台は奈良ではなく鳥取県北栄町であった

  • 野口王墓古墳は八角墳であり、天武天皇の陵墓ではない。キトラ古墳の被葬者は高市大王でありの画像

    野口王墓古墳は八角墳であり、天武天皇の陵墓ではない。キトラ古墳の被葬者は高市大王であり

  • 倭姫命は「迹々日百襲」を省略された倭迹々日百襲姫命であった

  • 「天の安河の河原」は鳥取県江府町下蚊屋明神の地であったの画像

    「天の安河の河原」は鳥取県江府町下蚊屋明神の地であった

  • 倭国歴史書原本の本当の神武天皇行軍コースの画像

    倭国歴史書原本の本当の神武天皇行軍コース

  • 鳥取県中部の古代人は身体に朱丹を塗っていたの画像

    鳥取県中部の古代人は身体に朱丹を塗っていた

  • 青谷上寺地遺跡は倭国大乱そのものであったの画像

    青谷上寺地遺跡は倭国大乱そのものであった

  • 因幡国(鳥取県東部)でも疎開先の但馬国から来て孝霊天皇と倭建命(若日子建吉備津日子=開化天皇)・の画像

    因幡国(鳥取県東部)でも疎開先の但馬国から来て孝霊天皇と倭建命(若日子建吉備津日子=開化天皇)・

  • 倉吉市の大原神社が石上神宮(倉)であり湯梨浜町長瀬が出雲大社のあった多芸志(タギシ)の浜であったの画像

    倉吉市の大原神社が石上神宮(倉)であり湯梨浜町長瀬が出雲大社のあった多芸志(タギシ)の浜であった

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