ようこそです。
おはようございます。
「 なんとかなる 」
私の人生のおまじないかも。
なんとかなる、なんとかなる、なんとかなる。
絵は、ゆず、です
ホント、人生なんとかなるよ。
なんとかなります。
何とかなるっていうことは、
何とかしてる自分がいるっていうこと。
みんなも、何かの局面、乗り越えて今があるってことは、
なんとかする力を内に秘めている証(あかし)だと思うよ。
どんなに先のことを思い描いても、
自分一人で生きてるわけじゃないから、
すべて思い通りなんてありえない。
また、その時はお先真っ暗でも、
こうして笑っている今もある。
みんな、なんとかなってるってことだよね。
先回りして心配しないで、
何かにぶちあたったら、その時の自分の力で、対処するしかない。
内心、大丈夫じゃないけど、
はったりかまして大丈夫そうにすれば、
大丈夫になった時もあった。
その時、持ってる力しかないから、
一気に全部は解決しないかもしれないけど、
少しずつ、崩していけばいいのじゃないかな。
できる範囲で。
その壁が、低いのか高いものか、ぶつかってみないとわからないのだから、
前もって不安になって、ぶつかるまでの時間も、おびえて過ごしたらもったいないよ。
ぶつかったら、ぶつかったで、
そこから悩めばいい、
特に最近、そう思う。
大丈夫なんだよ、
絶対なんとかなる力を持ってるんだと思う、私達。
もう10年は過ぎたけど、
乳がんになった時、
下の娘は、1年生になったばかりだった。
1番上も中学生になったばかり。
初めて死というものを意識した。
まだ元気だった父に、
母親が死んでしまったら、太陽がなくなったのと同じ。
その家は、灯りが消えてしまう。
絶対、幼い子どもを残して死んではいけない、と言われた。
まだこんな小さい子どもを残して、死ぬわけにはいかない。
その一念だった。
初期だったので、すぐの手術で、
2週間で仕事に復帰した。
その後、放射線治療とホルモン療法は、仕事をしながらクリアした。
ガンの性質の検査結果で、
抗がん剤はしなくても大丈夫という判断で、抗がん剤投与をしなかったので、
それによる副作用もなく、そんな大病をしたようには、周りも感じなかったと思う。
そのぐらい元気に見せていたのかもしれない。
精神的には、かなり無理をしていたと思う。
私はガンになって、命の危険はなかったからか、
その時、5人に一人位がガンになると(今はもっと多いのかもしれないけど)何かで聞いていて、
私が家族を代表してガンになり、
その代わり、夫や子どもはこれで大丈夫、
そんな気持ちを持ったことと
ガン手術の後、温存とはいえ、姿が変わって、
生きていければ、胸なんてなくても、と思っていたけど、
実際には、ものすごい喪失感だった。
夫に対しても、負い目やら色んな感情を持ったことを思い出す。
病気で入院したのもこの時が初めてだった。
それから、4年後に浮気発覚。
でもね、悲しいことだけど、
この浮気は、ずっと前から続いていたものだったから、
私が手術を受けていたその時も、私のそばに夫は居なかったの。
仕事で外国に行く日に、急に手術になってしまったんだもの、
行っていいよ、私は大丈夫だからって、
居て欲しいのに、大丈夫と嘘をつく私と、
仕事だと嘘をつく彼、
嘘つき夫婦だったのに、
何も知らないその頃の私
そして書きながら思ったけど、
ちょうど離婚の手続きの時、
手術後10年を、再発もせずに、クリアできていたんだけど、
もうそれを、夫婦として喜んだり、
気づかってもらうような間柄ではなくなってしまっていたってことだね。
10年前、
10年経っても絶対生きている!
元気でいよう!とは決意してたけど、
まさか離婚してるなんて思いもしなかった。
信じられないかもしれないけど、
自分が乳がんになって、死ぬかも知れないと思った瞬間よりも、
浮気を知った時の方が、もっとショックだった(遠い目)
そして、これほどまでに妻を傷つけてることにも向き合おうとしないことに、
さらにショックだったな~
話がそれたけど、
それでも、なんとかなってるからね、
大丈夫
その時、思い描いた未来は、
今思えば、すごく狭まった考えでしかなかったけど、
なんとかなる!って自分を信じれば、
もっと広い未来に続く道に、
勝手に押し出されていくのではないかしら。
今日も、楽しい1日を
おはようございます。
「 なんとかなる 」
私の人生のおまじないかも。
なんとかなる、なんとかなる、なんとかなる。
絵は、ゆず、です
ホント、人生なんとかなるよ。
なんとかなります。
何とかなるっていうことは、
何とかしてる自分がいるっていうこと。
みんなも、何かの局面、乗り越えて今があるってことは、
なんとかする力を内に秘めている証(あかし)だと思うよ。
どんなに先のことを思い描いても、
自分一人で生きてるわけじゃないから、
すべて思い通りなんてありえない。
また、その時はお先真っ暗でも、
こうして笑っている今もある。
みんな、なんとかなってるってことだよね。
先回りして心配しないで、
何かにぶちあたったら、その時の自分の力で、対処するしかない。
内心、大丈夫じゃないけど、
はったりかまして大丈夫そうにすれば、
大丈夫になった時もあった。
その時、持ってる力しかないから、
一気に全部は解決しないかもしれないけど、
少しずつ、崩していけばいいのじゃないかな。
できる範囲で。
その壁が、低いのか高いものか、ぶつかってみないとわからないのだから、
前もって不安になって、ぶつかるまでの時間も、おびえて過ごしたらもったいないよ。
ぶつかったら、ぶつかったで、
そこから悩めばいい、
特に最近、そう思う。
大丈夫なんだよ、
絶対なんとかなる力を持ってるんだと思う、私達。
もう10年は過ぎたけど、
乳がんになった時、
下の娘は、1年生になったばかりだった。
1番上も中学生になったばかり。
初めて死というものを意識した。
まだ元気だった父に、
母親が死んでしまったら、太陽がなくなったのと同じ。
その家は、灯りが消えてしまう。
絶対、幼い子どもを残して死んではいけない、と言われた。
まだこんな小さい子どもを残して、死ぬわけにはいかない。
その一念だった。
初期だったので、すぐの手術で、
2週間で仕事に復帰した。
その後、放射線治療とホルモン療法は、仕事をしながらクリアした。
ガンの性質の検査結果で、
抗がん剤はしなくても大丈夫という判断で、抗がん剤投与をしなかったので、
それによる副作用もなく、そんな大病をしたようには、周りも感じなかったと思う。
そのぐらい元気に見せていたのかもしれない。
精神的には、かなり無理をしていたと思う。
私はガンになって、命の危険はなかったからか、
その時、5人に一人位がガンになると(今はもっと多いのかもしれないけど)何かで聞いていて、
私が家族を代表してガンになり、
その代わり、夫や子どもはこれで大丈夫、
そんな気持ちを持ったことと
ガン手術の後、温存とはいえ、姿が変わって、
生きていければ、胸なんてなくても、と思っていたけど、
実際には、ものすごい喪失感だった。
夫に対しても、負い目やら色んな感情を持ったことを思い出す。
病気で入院したのもこの時が初めてだった。
それから、4年後に浮気発覚。
でもね、悲しいことだけど、
この浮気は、ずっと前から続いていたものだったから、
私が手術を受けていたその時も、私のそばに夫は居なかったの。
仕事で外国に行く日に、急に手術になってしまったんだもの、
行っていいよ、私は大丈夫だからって、
居て欲しいのに、大丈夫と嘘をつく私と、
仕事だと嘘をつく彼、
嘘つき夫婦だったのに、
何も知らないその頃の私
そして書きながら思ったけど、
ちょうど離婚の手続きの時、
手術後10年を、再発もせずに、クリアできていたんだけど、
もうそれを、夫婦として喜んだり、
気づかってもらうような間柄ではなくなってしまっていたってことだね。
10年前、
10年経っても絶対生きている!
元気でいよう!とは決意してたけど、
まさか離婚してるなんて思いもしなかった。
信じられないかもしれないけど、
自分が乳がんになって、死ぬかも知れないと思った瞬間よりも、
浮気を知った時の方が、もっとショックだった(遠い目)
そして、これほどまでに妻を傷つけてることにも向き合おうとしないことに、
さらにショックだったな~
話がそれたけど、
それでも、なんとかなってるからね、
大丈夫
その時、思い描いた未来は、
今思えば、すごく狭まった考えでしかなかったけど、
なんとかなる!って自分を信じれば、
もっと広い未来に続く道に、
勝手に押し出されていくのではないかしら。
今日も、楽しい1日を