もしケインズ経済学的なやり方で「失われた三十年」から脱出するならばヴェブレンが残した言葉は意味あるかもしれません。宇沢弘文著「近代経済学の転換」の第3章に「慢性的不況と失業との解消に関して、ヴェブレンの解答は単純明快である。人々がこれまでよりいっそう浪費的となり、企業の生産するものをできるだけ多く購入するようになるようあらゆる努力をおしまないか、しかしそれも見込みがない場合、政府ができるだけ民間企業の投資意欲を阻害しないような形での公共投資を増やし、有効需要を高めるようにすることである。」となっています。この考え方が現在の状況に適合するかどうかは何とも言えませんが、20世紀の大量生産においては成り立つものです。どうすれば現在のESGやSDGsを達成するのにいいかです。大量生産しなくても上のようなことが実現できるかが鍵になるような感じがします。「できるだけ浪費」について考えると所得に余裕がある層がそれを実行できるかが重要のような気がします。「政府の公共投資」については民間企業がやりたがっているのはまさに上に書いたESGやSDGsの達成のような感じで達成に長期視点が必要ですから、例えば内部留保があるような企業に対しては長く企業活動が考えられるような仕組みが必要な気がします。内部留保がないような企業に対しては日本にもあるかもしれませんが、例えばドイツで行われている公的研究機関によって企業の製品の開発促進するような形を出していくのがいいかもしれません。どちらの場合でも研究をどう位置付けるかのように思われます。