やるせない。
なんといえばいいか。
なんともいえないことではあるが。
1995年、
1月17日、
阪神・淡路大震災の時。
私は、
新大阪のホテルマンをしていました。
21歳の冬。
前日16日の勤務が24時までだったこともあり、
兵庫の実家に戻らず、
高校の同級生が住んでる千林大宮のマンションに泊まることに。
いつものように
ビールやチューハイ片手に
たわいもない会話、
ファミスタやストⅡして
朝の5時まで起きてた。
5時半頃に、
もうそろそろ寝よかーと
うとうとして。
10分ちょっとしたら
この世の終わりかというくらいの長時間の大揺れ。
当時は2000年に向けての
ノストラダムスの大予言を子供のころから聞かされてたので、
前倒しで予言が来たと思ったくらい。
即行でテレビをつけたものの、
関西地方の震度速報がまったく出てこない。
地震から3時間ほど過ぎたときやったかな。
いつも当たり前のように走ってた
阪神高速神戸線が倒壊してたり、
JR神戸線や阪神線、阪急線がめちゃくちゃになってたり。
当然、
家に帰れないので、
千林大宮で4日滞在することに。
やっと帰宅する日は、
大阪から谷川という駅へ出て、
加古川線を経由して
明石方面へ行く。
(補足:このルートではなく、
大阪から京都へ出て和田山から播但線経由で帰宅したんだった。
でも、谷川経由での移動は何度もやった。)
加古川線や
播但線は、
震災の時、
よく利用しました。
地震の起きる前日、
1月16日。
たまたま、
賃貸マンションの契約にサインをしておりました。
人生初の一人暮らしを十三でおくることに決めた日が、
1月16日だったので、
今でも鮮明に記憶しています。
震災後、
引越し屋さんに頼めない日々だったので、
少しずつ少しずつ、
重たい荷物を、
迂回ルートの播但線や加古川線を経由して、
十三まで荷物を運んだものです。
2003年~04年にかけて、
住んだ街・仙台。
とても大好きな街です。
私も震度5を青葉通りのビルで経験しましたが、
とてつもなく昨日の地震は恐かったことでしょう。
なんといえばいいか・・・
名取や気仙沼の映像を見て絶句。
松島はどうなんだろう・・・
それにしても、
やるせないです。