さて、明後日、Y’s ExP.のお誕生日をもって6周年となるこのタイミングで、ブログが終わりとなります。
遡ればわかることですが、最初は2015年の5月。
旗揚げ公演「魔法使いになる方法」を公演するにあたって立ち上げたものでした。
そこからちょうど6年くらいですね。
不定期に更新していたものを毎週更新に変えて、公演の情報やそれぞれの思いなどをお届けしてきました。
先日本公演が終わり、そしてこのブログも終わります。
一つ一つと終わらせながら、改めてそれぞれにどんな意味があるのだろうかと考えます。
このブログが終わるということは自分にとってどういうことなのか。
それは脚本家、演出家としての槙本擁が演劇や作品に対して文章という形で思いの丈を伝える機会が失われるということ。
つまり、このブログが、この文章が、脚本家、演出家としての・・・
まぁ未来のことはわからないのですが少なくともY’s ExP.の代表で、脚本で演出としての最後の言葉になるということです。
これまでは脚本家もしくは演出家としての槙本として文章を綴ってきたことのほうが多いように思います。
せっかくなので、最後は代表としての想いを書かせてもらえればと思います。
まずはこの場を借りて、これまでY’s ExP.に関わって頂いた全ての皆様に、心からの感謝を申し上げます。
これまで本当にありがとうございました。
自分が脚本を書き、そして演出をするなんてことは夢にも思っていませんでした。
人生とは不思議なものです。
しかし予定にはなかったことが気が付けば人生の大きな大きな一部分を占めるようになっていました。
今、この瞬間があるのも、これからの人生が続いていくのも全てY’s ExP.があったおかげです。
佑太君は、知っている人も多いと思いますが同じクラスになったことが縁の始まりでした。
それから数えればもう9年の付き合いになります。
爽やかで人当たりが良くて一生懸命で礼儀正しくてストイックで真面目で人のことをいつも思いやって、多くを語らないけどY’s ExP.や僕の書く作品や演出をとても大切に思ってくれています。
面と向かっての喧嘩らしい喧嘩は、ないんじゃないかなと思います。
LINEで互いの思いや意見をぶつけることはあっても、それを変に引きずったりしない、気持ちの良い男です。
生まれてこの方あまり「人を頼る」ということをしてこなかった僕が弱い部分を一番最初にこぼしたのは彼だったと思います。
どんな話をしたかは正直覚えてないけど、夜道を歩きながら電話をしたのは覚えています。
彼があの時、受け止めて優しくしてくれていなかったら、僕が人に心を開けるようになるまでまだ何年もかかったかもしれません。
それくらい大切なきっかけをくれた人でもあります。
とにかく手のかからない子。という印象です。役作りは勝手にやってくるし、アドバイスやおすすめはすぐに取り入れて次から自分のものにしてくる。演技面でもそれからビジネス面でもそうでした。
佑太君は僕のことをどんなふうに思っていたんでしょうか。
そういう意味では手がかからない分、一番何を考えて、何を思っているのかわからない人でもあります。
ネガティブな感情はそっと自分の中にしまい込んでそれを持ち込まない。自分で決めたルールをちゃんと遂行する。とても軽やかで一見するとドライな用に見えて情に厚い人。恥ずかしがり屋であまり自分の素直な気持ちを話したがらない人。
周りからなんでもできるように思われてて、実際なんでも出来るけど、でも出来てないんじゃないかって不安をいつも抱えながら努力し続けられる人。
代表副代表であり、演出家と役者であり、同期であり、戦友であり、同志であり、親友であり、家族のような存在。
誰がなんと言おうと、そして彼が否定しようと、彼は僕にとって一流の役者であり、最高の相棒であり、そしてヒーローです。
スーパーヒーローです。
「擁の脚本が面白いのは俺が保証する」
自信も何もなかったあの時に言ってくれたあの言葉がどれだけ力をくれたか。
佑太君。君と舞台を作れて、お芝居を作れて、本当に楽しかった。君で本当に良かった。出会った以降の人生を豊かにしてくれて、本当にありがとう。
純君は養成所のとある授業で一緒になったのが密になるきっかけでした。
あれは2012年の9月。二学期から始まった授業だったので純君もお互いを認識し合って関わるようになってもうすぐで9年になりますね。
佑太君同様に爽やかで、それから顔が、好きな系統でした。純君みたいな顔に生まれてきたかったですね。
いつも笑顔でとにかく優しくて不器用だけど一生懸命で仲間思いで感受性が豊かでみんなの人気者。
そしてなにより彼が一番最初に「演出が芝居を変える瞬間」を教えてくれた人でした。
当時どんなディレクションをしたのかもうさっぱり覚えていません。なんとなく、少し怒ったような気がしないでもないんですが朧気です。
ディレクションをしてもう一度やってもらったときに、さっきまでとはまるで違う生きた芝居をして、芝居でボロボロと泣く純君に自分をボロボロ泣いたのを覚えています。
芝居ってすごいな。そう思ったと同時に、演出(もしくは演技指導)ってすごいなと思いました。
もちろん当時の自分だって同じ授業を受けていて、「芝居とは」を学んでいた最中でした。きっと今の自分がみたらひどいディレクションだったんだと思います。だけど、きっとあの時現場にいたみんなが「芝居の凄さ」に気付いたんじゃないかと思います。
お芝居って上手に嘘をつくことじゃなくて、限りなく本当を作ることなんだって。
あの経験がなければ、演出という行為を続けていたかどうかわかりませんし、旗揚げ以後関わる役者さんに対して、その場限りの演出ではなく、お芝居の「何か」を掴んで帰ってもらおうとは思う様にならなかったと思います。
佑太君と比べれば本当に手のかかる子でした。
不器用で波があって、何か特別な実用的スキルがあるわけじゃない。(しいて言えば運転)
Y’s ExP.旗揚げ後のプロデューサーを二度完遂できずに終わってしまいました。
純君の名誉の為に言っておきますが、通常「プロデューサー」をやりながら「役者」もやるなんて言うのは正気の沙汰ではありません。ましてや主役なんてただのチートです。
お芝居もなかなかいろんな経験をしましたね。役がゲットしきれないまま公演が終わってしまったこともあったし、大きなシーンがカットされてしまったこともありました。
でもその全てを糧にして、本当にいい役者になりました。また稽古場では常に明るくキャストさんの雰囲気づくりや、小道具等々どんどん逞しく頼りになるようになりました。
恐らくIBUKI2019、Nouveau Départは彼がいなければ成立しえなかったでしょう。それくらい僕自身の精神的な支えにもなってくれるようになりました。
明るく元気に調子よく振舞いながら、本当はとてもセンシティブで思慮深くて、愛くるしくて情感豊かな人。
そしてY’s ExP.と作品と演出を愛してくれている人。
きつく当たったてしまったこともあったし、今では笑い話に出来るような色んなトラブルや事件もあったけど、そんなのは些末なこと。それ以上にたくさんの風景を一緒に見れて良かった。
純君。君に出会えて本当に良かった。出会った以降の人生を豊かにしてくれて、本当にありがとう。
沙織との出会いは養成所の選抜クラス。だけどその時も特別仲良くなることはなくて2年生の時にやった自主舞台でスタッフについてくれて少しだけ仲良くなって。ずっと素敵なお芝居をする子だなと思ってた。
だから旗揚げ公演の出演に声をかけて一緒に作ることが出来て。お客様から「お姉ちゃんが良かったね」と沙織がやっていた役の評判をたくさん聞いた。
実はY’s ExP.の設立に誘った一人でした。だけどその時にはもう別の劇団への所属が決まっていて、あれは確か中目黒のサイゼリアだったと思う。
「じゃぁスパイってことで、劇団の運営の仕方とか諸々学んで、何年後かに戻ってきてよ」そんな風に冗談を言ったのを覚えています。
それから数年たって、その言葉は本当になるわけです。ドラえもんの秘密道具みたいですね。
沙織がY’s ExP.のメンバーになってくれたあと、どれほどの功績をあげてくれたか上げたらきりがありません。
「沙織がいなかったときってこれ自分たちでやってたんだよね?」と事あるごとにいうのはそれくらい大きなサポート力を齎してくれたということです。
その全てに感謝をしています。沙織が言ってくれること、気付いてくれること、やってくれること。見ているもの聞いているもの。その全てに「愛」がある。
それは役者への愛やスタッフへの愛、お客様への愛。そしてメンバーへのY’s ExP.作品への愛。リスペクトや思いやりに溢れている。
失礼がないように。スムーズにいくように。不便がないように。心地よく出来るように。ミスがないように。問題が起こらないように。みんなが最善を尽くせるように。そしてY’s ExP.の公演が滞りなく美しい形で終えられるように。
こんなに大好きでいてくれて、その気持ちがどれほど力に変わったことか。
手はかからないけど心配しちゃう子。それが沙織でした。何せキャパを超えて頑張りすぎちゃう。
うちにはストイックスタミナ精神力モンスターがいるもんだから、余計に。
でもその頑張りが全てちゃんと循環して、今日この日までY’s ExP.は美しい形でやってこれたと思います。
そしてメンバーとしてだけではなく、プライベートでも感謝しています。
恐らくY’s ExP.メンバーで一番仲良しで気が合うのは沙織です。最近は二人で2時間でも3時間でもずっと喋ったり笑ったりしています。そんな友達が出来て本当に嬉しい。これから一人の同胞として椿山荘にいったりマンダリンオリエンタル東京にいったりザ・ペニンシュラ東京に行ったりしてアフタヌーンティーをしながらいろんな話をしたいと思っています。
笑顔がとにかく素敵で、心が綺麗で優しくて品があって、思いやりと愛情に溢れてて、誰かの涙に涙できる人。
沙織ちゃん。僕はね、君が笑えるようになった時、「あぁ本当にY’s ExP.をやっていて良かったな」って思ったよ。もうそれだけで十分かもしれないって本当に思ってる。豊かになってくれてありがとう。そして俺の人生にも出会って、豊かにしてくれてありがとう。
そんな3人と共にY’s ExP.を終えられること。それは何よりも幸せなことだなと思います。
出会いや繋がりは簡単ではありません。
例えば希望の会社に就職できたとして、配属された部署や上司、同僚と反りが合わないことなどザラにあります。
人の趣味趣向は様々です。完璧に同じ感性を持っている人間などきっと存在しません。
ですが、3人が3人ともY’s ExP.を、そしてなにより僕が作りたいと思った世界を、何よりも愛してくれたこと。これは奇跡のようなものだと思います。
代表として。Y’s ExP.の言い出しっぺとして。これは身に余る幸せです。
そしてこのチームが解散しても、僕たちは日常生活で共に在ります。
Y’s ExP.という活動を通して、多くの素晴らしい経験をしてきました。素晴らしい言葉にはならないようなものもたくさん手に入れてきました。
そのうちの一つがこの家族のような生涯の友のような親友のような素晴らしい繋がりです。
スタッフや過去の出演者、お客様。一人一人感謝を申し上げたい気持ちで一杯です。
誰一人かけてもこの瞬間はありませんでした。
過去が全て積み重なって今この瞬間がある。
であれば何もかもを手放すことは出来ません。
暗い夜も、辛い時もありました。
だけどこの世界が喜びで溢れていることを
かけがえのない全ての人が僕に教えてくれました。
始めましてからすべて繋がって
巡り合いの中で知った「愛」は何よりも深いもので
それぞれがそれぞれで美しい存在であることを教えてくれました。
例え未熟に思えても、時に歪に思えても
その全てを翼にして、思い描いた先へ飛んでいけばいい。
愛をもって羽ばたき続ければ、目指したゴールと違っていてもきっと素晴らしい場所にたどり着ける。
そんな「希望」のようなものを教えてくれたのが僕にとってのY’s ExP.でした。
皆さんの出会った以降の人生は豊かになりましたか。
もしなってくれていたら嬉しいな。
クラファンリターンや最後のわいぱーなどまだまだ続きますがひとまず思いの丈を語るのはこれで最後にしようかと思います。
本当に今までありがとうございました。
槙本