心と魂の統合アドバイザー
YURIKAです
ホロスコープ(特にリリス)と、
誰もが自由に自分らしくいられるために、
メンタルやスピリチュアルを検証&発信しています。
先日とあることで、
とある人の無事を「祈る」ことがありました。
やっていたことは引き寄せに近い感じで、
その人から「大丈夫だった!」って
報告が来て喜ぶイメージをしたり、
光に包まれて癒されるイメージや、
”大丈夫~”のエネルギーを乗せて、
写真を送ってみたり。
結果的にですね。
イメージ通りその人は大丈夫で、
私も一安心だったんですけども
そこでふと思い出したことがあって。
実は以前も今回と同じように、
誰かの無事を祈ったことがありました。
だけれどね、
その祈りは結局叶わなかったんですよね。
それが人の生死に関することだったので、
当時中学生の私としてはショックで、
「あぁ…私がもっと祈れば良かったのかな」
(お百度参り並みにやらなきゃダメだったのかな、と当時思った)
そこまで出来なかった自分を責める気持ちや、
祈りなんて所詮効かないって失望する気持ち。
そんな事があってから、
何となく私は「祈る」が苦手で、
引き寄せもそうなんですけど、
どこか信じきれずにいました。
「祈る」「願う」という行為の不確かさや、
何も出来ない自分の無力さを痛感して、
それなら目に見える、
分かりやすいものだけを信じよう。
不確かなものを信じないようにしよう。
だから目に見える形で、
自分のスキルや価値を提供しなければ。
それが人の役に立つことだ。
中学生の時の経験から、
私の意識下にはそんな考えが
刻まれていたのかもしれないなぁ、と。
YURIKA@元優等生が送る”ありのまま変人”な自分で生きるスピリチュアル理論。@JXQk5g9pvSmfr1uより多くの人に自分の気持ちを伝えることも大切だけれど、たった1人の人にその気持ちが伝わることだって、同じくらい尊いこと。それは目に見えない不確かなものだけど、そこに想いがあれば、相手には確実に伝わるのさ。そしてそんな自分自身のことも誇りに思えると良いね😌
2020年09月05日 18:58
今回その人が大丈夫だったのが、
”運命だ”と言われればそれまでなんだけど、
あの頃の違いとしては、
今回は不安からの「祈り」ではなかったこと。
私の、ではなくて、
相手の不安を和らげたい。
少しでもホッとしてほしい。
心をニュートラルにして、
「大丈夫だった!」のエネルギーに集中する。
今回の私もあの時と同じ。
自分の日々の生活を送りながらの祈りで、
その他に何が出来たって訳じゃないんだけど。
それでも不思議と、
私の想いはその人にはちゃんと伝わって、
結果的に大丈夫で、
「あぁこれで良かったんだ」
と胸のつかえがスーッと、
取れた感じがしました。
誰かに想いを送る。
それだけで誰かの助けになることもある。
たった1人の誰かが喜んでくれる。
それは思ってるよりずっとずっと尊いこと。
何か大きなスキルを提供できること。
何か大きな結果を残せること。
自分が相手に直接的に何かをすること。
それが全てじゃないし、
それが出来ない自分のことを、
「無力だちっぽけだ」と責める必要もない。
少し気持ちが不安に揺れながらでも、
どこかでその人の無事を祈れること。
どこかでその人の無事を信じられること。
そんな自分のことこそ、
もっと信じても良いのかもしれないなぁ。
今回の出来事でふとそんなことを感じたのでした
ホロスコープ的に解釈するなら、
魚座満月の影響ですね。
魚座は私のブラックムーンリリスだし、
弱点であり、怖れであり、でも魅力的なとこ
(つまりこのテーマは突き詰める必要がある)
*
あなたが祈りを捧げたいことはなんですか?
想いをただ送りたい人は誰ですか?
ぜひ感じてみてくださいね
最後までお読みいただきありがとうございました