新約聖書 フィリピの信徒への手紙 3章8~9節
「そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」


使徒パウロはユダヤ人でした。
彼はイエス・キリストと同じ頃生まれました。
生粋のユダヤ人の家に生まれ、先祖伝来の律法(りっぽう:神様の教え)を厳格に守って生きていました。

青年になったころ、同年代のイエス・キリストが伝道を始めました。
神様の無限で無条件の愛を言葉と実践で現わし、あらゆる病気の癒しや奇跡を行っていました。
パウロからすれば、律法をきちんと守りもしないで生きているダメな人たちが、たくさんイエスのもとに集まっていました。
そんなチャランポランな連中を神様が受け入れておられるなどとは到底考えられませんでした。
そんな時、イエスはエルサレムで捕らえられ、十字架刑で処刑されました。

当然!
ざまあみろ!

勢いづいたパウロは、イエス・キリストの弟子たちをつぶしにかかりました。
家々を片っ端から調べ、信者だと分かると連行し、投獄し、処刑していました。

自分は正しい! 神様によろこんでもらえている! と思いこんでいました。

しかし、ある日遠方までクリスチャンをつかまえに行っている時、復活したイエス・キリストに会ったのです。
そして、自分の間違いを教えられました。

人は、みんな弱さや欠けや問題を抱えている存在、
どうしても自己中心的な思いから離れられず、大なり小なり罪を犯しながら生きている存在、だと教えられたのです。
そして、そんな人間が善行によって神様に受け入れられることなど不可能なことを思い知らされました。
なにせ、自分自身が良かれと思ってたくさんの人を傷つけてきていたのですから。
取り返しがつきません。

しかし、イエスはそんなパウロも無限に神様に愛されていることを知らせてくれました。
そして、イエス・キリストの命がけのメッセージ:
「人(あなた)は神の宝物。だから、神様と一緒に宝物として生きよ。何度でも顔をあげ直して!」
このメッセージを伝える者となるように招かれたのです。

それまでパウロは、自分が優秀なこと、立派にできることが自慢でした。
受け入れてもらうために一生懸命努力してきていました。

しかし、完全に方向転換しました。

もう、神様に受け入れてもらうために努力する必要はありません。
すでに完全にゆるし受け入れられているのですから!
だからと言って中途半端に生きるつもりはありません。

神様が喜んで下さるようにあらゆる命を大切にして生きることに一生懸命努力していきました。
自分一人の力では不可能です。
思い知らされました。
いつも神様の助けと導きを祈って進んで行きました。

あなたも、全知全能のあらゆるものの創造者である方から無限に愛されています。
無条件で宝物として受け入れられています。
だからこそ、宝物としてあらゆる命を大切にして精一杯生きていきましょう。

復活したイエス・キリストがいつも共にいて神様の全能を用いて助け導いて下さいます。

立ち止まって確かめながら、何度でも顔をあげ直して、あらゆる命を大切にして感謝と希望に満ちて進んでいきましょう。

「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」(ローマの信徒への手紙 8章31節)

神様が味方ですから!