旧約聖書 聖書 詩編130篇7節
「イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。」

イスラエルの民は神様を礼拝するために神殿にのぼって行くに際して歌いました。
神様をたたえました。

「神様なんだからたたえないとバチが当たる・・・」というような理由で神様をたたえたのではありません。

経験を通して神様がどんな方なのか学んできていました。

「いつくしみは主のもとに、
 豊かな贖(あがな)いも主のもとに。」

主(しゅ)とは神様のこと。

「主」と呼ぶのは、「自分の従っていく方」だと心に決めているから。
神様が「いつくしみ」と「あがない」の方だから。

「いつくしみ」は「無限の愛」、「あがない」は「買い戻し」のこと。

人々は、神様が愛によって人間を創造してくださったこと、
神様の創造されたあらゆる命を愛して生きるように望んでおられることを知っていました。

しかし、祖先たちも自分たちも自己中心的な思いを優先して失敗(罪)を続けてきていました。
見捨てられて当たり前のところです。

しかし、神様は、そのたびに自分たちを見捨てず、あらゆる罪をゆるして泥沼から救い出し続けてきて下さいました。
泥沼の状況から、一方的な愛で「買い戻し」続けてきてくださっていました。
それを経験を通して学んでいました。

今でも失敗(罪)を繰り返して傷つけ合っている自分たち・・・
それでも愛し救い続けて下さる神様・・・

神様、ごめんなさい…
もう一回顔をあげ直して進みます。
今度はもうちょっと頑張ります・・・
でも、弱く罪深いですので、どうかよろしくお願いします!

ゆるし、受け入れ、無限に愛し、救い続けて下さる神様に感謝と願いを伝えるため、民は神殿にのぼって行きました。

イエス・キリストが来られるずっと前から・・・

イエス・キリストは、神様に信頼しきれない民に永遠の愛の神様の存在を心深く知らせるために来られました。
文字通り命がけで神様を現わしてくださいました。
殺されましたが、復活して、今や一緒に生きながら導いて下さっています。

永遠の愛とゆるしの方、
唯一絶対の神様はおられます。

私たちを愛し導き続けて下さっています。

この方を自分の生活の一瞬一瞬に待ち望みながら一歩ずつ進んでいきましょう。
神様の宝物として生かされていきましょう。