新約聖書 コロサイの信徒への手紙 3章2~3節
「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。」

「イエス・キリスト」を信じる・・・
詳しく言うと、あの2千年前に神様の永遠で無限で無条件の愛を命がけで伝えてくれた人、決して人を傷つけるようなことはなかったのに特に権力者からねたまれ、うとまれ、嫌われて無実の罪で十字架刑で処刑された人、その後神様から復活させられて今も生きてあらゆる人を神様の愛に引き戻し続けて下さっている方「イエス」を、「自分が命がけで従っていく主(しゅ:キリスト)」と信じる・・・

すると何が起こるのか?

ちなみに、「信じる」とは、一瞬一瞬改めて「イエス・キリスト」に「賭けて生き直していく」こと。

「信じる」と、その瞬間「価値観」が大きく転換されます。

軸が「自己中心的な思考」から「神様(愛:イエス・キリストそのもの)中心の思考」に変えられます。

万事は益!
全知全能の愛の神様が一緒におられるので、何も恐れることはない!
現状も神様の導きの中にある! だから、感謝して喜んでいよう!
という具合に。

いつも私が読んでいるクリスチャンの投稿記事サイトから翻訳して以下に載せます。

「ガン治療の副作用と戦いながら、私はよく日数を数えてきました。あと25日で化学療法が終わる・・・ 放射線治療はあと二日・・・ という具合に。この困難な時期、私の家族は教会のみんなや友人たちからいただいたたくさんのカードや食べ物や祈りにとても励まされてきました。でも、私はなかなかこれらの贈り物を“神様からの祝福”として受け止めることができませんでした。私は、“すべての治療が終わって生活が元通りになってはじめて、『自分は祝福されている』と言える”と思っていました。でも今私は、未来に心が向いていた間ずっと、自分が“毎日の祝福”を見逃し続けてきていたことに気づかされました。私たちの命は今は神様の内に隠されています。私のたちの人生は完全ではありません。しかし、やがてイエスとお会いする時すべてが新しくされます。すべての涙は拭いとられます。神様の栄光の日が訪れる時、今理解できないすべてのことの意味も明らかにされます。今日の聖書のことばによれば、私たちはすでにこの世の(自己中心的な)価値観に対して“死んで”います。イエス・キリストと共に霊的に復活させられ、毎日神様の祝福をしっかり受け取れるようにされているのです。将来の希望と共に、今日、新しく計り知れない祝福を受けとめられるものとされているのです。
神様、今日あなたの祝福に気づくことができますように。明日も与えられているあなたの祝福の約束によって勇気をもって踏み出せますように。」

私も“日数を数える”ことをよくしていました。
“与えられている祝福”を素通りして未来に心が向きっぱなし・・・
ハハ・・・

イエス・キリストを信じてきてよかった!

今からまた、問題の真っ只中で今日も与えられていく神様の祝福に感謝していきます。

感謝、感謝!