新約聖書 ルカによる福音書 13章6~9節
「そして、イエスは次のたとえを話された。『ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。“もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。” 園丁は答えた。“御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。”』」


イエス・キリストは多くのたとえを用いて人々に話しましたが、今日の箇所はその一つ。

ある人が自分のブドウ園にイチジクの木を植えて管理するように管理人に告げました。
イチジクは育っていきましたが、実がなりません。
3年待ちましたが、実がなりません。

気温や害虫の影響を受けやすいとはいうものの、3年間実がならないことを主人は受け入れられず、管理人に切り倒すように命じます。
ところが、管理人はイチジクの木を見捨てられず、もう一年世話をさせてくれるように主人に頼むのです。

人は神様の宝物として創造されたました。
宝物として成長して喜びや感謝、平安などの実を結ぶことが望まれています。

しかし、その生育環境などの影響で、実がならないこともしばしば。

私は、超ワガママで短気な人間に成長してしまい、3年どころか50年近く「喜びや感謝、平安」といった実をつけることができないままでいました。
一緒に生きようとしてくれていた大切な人たちを裏切り続け、その心に深い深い傷を負わせるまでになっていました。

ところが、イエス・キリストは私を見放さず、絶望している人たちに向かって「もう少し世話をしてみますので待ってください」と語り続けてくれていました。
そして、ある日、わたしのかたくなな心に神様の無限無条件の愛が奥底まで入ってきました。

その日(10年前)から、わたしは少しずつ少しずつ本当の実をつけることができるようにされてきました。

喜び、感謝、平安・・・

自分に対しても、周りの人に対しても、「もうだめだ」というようなあきらめを感じる時があります。

しかし、イエス・キリストは、「もう少し世話をします。様子を見て下さい」と言ってあらゆる機会を通して神様の愛と栄光を注ぎ続けて下さっています。

イエス・キリストと共に、希望をもって世話をし続けてみましょう。

まずは、今日一日。

きっと実を結ぶ日が訪れます。