新約聖書 ペテロの手紙1 5章7節
「思い煩(わずら)いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」


「思いわずらう」ようなことがありますか?

健康のこと、お金のこと、人間関係のこと、勉強、仕事、試験、などなど…
悩むようなことは後から後からでてきます。

冒頭の聖書の続きには、私たちを悩ませる問題についてこんなことが書かれています。

「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。」(8~9節)

まるでピンポイントで悪魔に直接攻撃されているような・・・
しかし、ピンポイントではありません。

「あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。」

たくさんの人が同じ戦いをしています。
まるで自分一人が戦って苦労し、敗北しかけている・・・ と感じやすいですが。

すべての人は弱さや欠けや問題を抱えて生きています。
実は、この「弱さ」は、私たちが全知全能の愛の神様を体験するために与えられているものです。

使徒パウロは、自分をダメな存在のように人に思わせる「弱さ」を持っていました。
パウロは、それがなければもっと自信を持って生きていけるような気がしていました。
でも、その考えが間違いだと知らされました。

「それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。」
   (コリントの信徒への手紙2 12章7~8節)

何度も何度も、パウロは自分の弱さ(無力さ)を取り去ってくれるように神様に祈ったのです。
ミジメな自分をまわりの人に見せないですむように祈ったのです。
ところが、イエス・キリストの答えは驚くべきものでした。

「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(9~10節)

パウロの弱さやもろさ、ミジメだと思えるような部分をこそ用いて、神様はまわりの人に神様の大きな大きな愛を伝えることができるのだと言われたのです。

そこで、パウロは自分の弱さを「もう隠そうとしない」こと、それどころか、弱さを「認め」て、それを通して神様が神様と命のすばらしさを現わしてくださることを求めるようになったのです。

私たちの弱さ、もろさ、ミジメな部分をこそ、神様は用いようとしておられます。

私たちを宝物として愛してくださっている神様は、私たちの「弱さ」「もろさ」「ミジメに思える部分」をよく知っておられます。
私たちがどんな思いでいるのか知っておられます。
その上で、私たちがそれらを神様に任せて神様と一緒に進むことを望んでおられます。

神様の想いは、私たちにミジメな思いをさせることではありません。

「しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。」(10節)

あなたは、わたしは、そして私たちのまわりの一人一人は、みんな神様の宝物。
一人一人が神様の宝物として生きられるようになるために、私たちの弱さ、ミジメさは用いられます。

問題を神様にまかせ(問題を神様の方に転がしてしまって)、神様と話しながら一方ずつ進み、神様の救いを体験させられていきましょう。

ミジメな思いをすることがあっても、何度でも神様から無限の愛をいただいて、顔をあげて進んでいきましょう。

イエス・キリストが命がけで現わしてくださった永遠の愛の神様は、必ず救い続けて下さいますから。