新約聖書 ルカによる福音書 9章23~24節
「それから、イエスは皆に言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。』」
人はなぜイエス・キリストについて行きたくなるのか?
それは、イエスがあらゆる困難や問題を体験した方だから。
そして、なによりも、ご自分の知恵や力ではなく、あらゆる命を創造し、愛し、守り、導いて下さっている創造主なる神様に頼ってあらゆる問題から救い出され、死にさえも復活によって勝利された方だから。
イエス・キリストと同じ救いを体験するためには、イエスと同じ道を進むことが必要。
神様の想いに従って、あらゆる命を宝物として大切にする道を選んでいく。
どんなに困難や問題があっても!
どれだけそれが続けて起こっても!
あなたにも、問題や困難が続いていますか?
そのはずです!
「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」
(コリント信徒への手紙2 4章10~11節)
“いつも”イエスの死を体にまとっています。
“絶えず”イエスのために死にさらされています。
“いつも、絶えず”困難にさらされている…
何のために?
「イエスの命がこの体に現れるために。」
「死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」
全知全能の愛の神様はあなたを宝物として愛しておられまず。
あなたを通してそれを現わそうとしておられます。
そのために、あなたの困難が用いられます。
その真っ只中で自分の力に頼らず、神様に頼って(祈って)、静かに進んで行くなら、『救い』と『復活』が起こります。
たくさんの仲間が同じように歩んでいます。
顔をあげ、命を愛していきましょう。
どんなに困難や問題が押し寄せてきても!
神様の愛を体験するチャンスです!
イエス様、
神様、
聖霊(神様の霊)、よろしくお願いします!
「それから、イエスは皆に言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。』」
人はなぜイエス・キリストについて行きたくなるのか?
それは、イエスがあらゆる困難や問題を体験した方だから。
そして、なによりも、ご自分の知恵や力ではなく、あらゆる命を創造し、愛し、守り、導いて下さっている創造主なる神様に頼ってあらゆる問題から救い出され、死にさえも復活によって勝利された方だから。
イエス・キリストと同じ救いを体験するためには、イエスと同じ道を進むことが必要。
神様の想いに従って、あらゆる命を宝物として大切にする道を選んでいく。
どんなに困難や問題があっても!
どれだけそれが続けて起こっても!
あなたにも、問題や困難が続いていますか?
そのはずです!
「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」
(コリント信徒への手紙2 4章10~11節)
“いつも”イエスの死を体にまとっています。
“絶えず”イエスのために死にさらされています。
“いつも、絶えず”困難にさらされている…
何のために?
「イエスの命がこの体に現れるために。」
「死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」
全知全能の愛の神様はあなたを宝物として愛しておられまず。
あなたを通してそれを現わそうとしておられます。
そのために、あなたの困難が用いられます。
その真っ只中で自分の力に頼らず、神様に頼って(祈って)、静かに進んで行くなら、『救い』と『復活』が起こります。
たくさんの仲間が同じように歩んでいます。
顔をあげ、命を愛していきましょう。
どんなに困難や問題が押し寄せてきても!
神様の愛を体験するチャンスです!
イエス様、
神様、
聖霊(神様の霊)、よろしくお願いします!