旧約聖書 エレミヤ書 10章23節
「主よ、わたしは知っています。人はその道を定めえず、歩みながら、足取りを確かめることもできません。」


いつも読んでいるクリスチャンの投稿サイト(Upper Room Daily Devotional)から翻訳して載せます。

「若いころ、夫のドンと私はよく二人で自転車に乗って出かけました。でも目が悪くなったので自転車を売ってしまいました。そして、二人乗りの自転車を買ったのです。二人乗りの自転車は珍しかったので、特に一番後ろのチャイルドシートに子供を乗せて3人で近所を走っている時など、たくさんの人が笑顔で手を振ってくれました。

前の椅子に座るのがキャプテン、パイロット。夫がキャプテンとして自転車をコントロールしました。方向を決め、バランスを取り、後ろのエンジン係りの私に指示を与えます。私の役割は、パイロットに信頼してペダルをしっかり漕いで進む力を供給すること。

信仰の歩みは二人乗りの自転車に乗っているようなものだと思います。
人生は、自分でコントロールしようとするのをやめて神様にハンドルとバランスを取ることをまかせる時、ベストの方向に進んで行きます。でも、そう言っている私が、しばしばこれを忘れて自分でコントロールしようとすることがよくあります。そして思い出すのです。後ろの席に座る者は、道を曲がったり凸凹に備えるためにはパイロットの指示に従わなくてはならないと。そして、神様がパイロットの席に座っておられるだと。

イエス・キリストが弟子たちに確認されたように、神様は、わたしがいつも二人乗りの自転車に乗っていること、決して一人ではないことを確認してくださっています。

神様、あなたがいつも一緒にいて下さることをしっかり覚えていられますように、そして、信頼してコントロールをあなたにゆだねることができますように。」

自分で人生をコントロールしようとすることをやめ、ハンドルを神様に明け渡す…

半年間の有期雇用が終わって1ヵ月。
この先どう進んで行っていいのか祈って聞きながら進んでいるつもりですが、まだほとんど見えてきません。

「自分でコントロールすることをやめる」ってどういうこと?

あらためて問われています。

そんな時今日の投稿記事を読みました。

信仰の仲間たちは、みんなそれぞれジタバタやってる…
みんな、導いて下さる神様を一度ならずも経験して信じてはいるものの、毎回あらためてゆだねることを問われて…

私も、ジタバタしながらでも聞き続けていきます。

イエス・キリストの平安が支配してくださることを祈りつつ。
感謝して。