新約聖書 ルカによる福音書 1章26~33節
「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』」

祭司ザカリア、エリサベツ夫妻は年老いていましたが子供がありました。
これはザカリア、特にエリサベツにとって、とても「つらい、はずかしい」ことでした。
二人はその思いを殺して生きていました。
ところが、天使ガブリエルがザカリアの前に現れ、彼らに子どもが与えられると告げたのです。
天使はこう告げました。

「その子をヨハネと名付けなさい。」(13節)

「ヨハネ」には「神様は恵み深い」という意味があります。

ヨハネは、神様(愛)を離れて自分やまわりの命を傷つけてジタバタと生きる人間を神様に向き直らせる働きをします。

神様は、自己中心的に生きる人間を決して見放しも見捨てもしておられなかったのです。
一方的に、神様の無限の愛を告げるためにヨハネを生まれさせてくださいました。
人間のミジメな思いが取り除かれる徴(しるし)として、祭司の妻だからこそ何重にも「みじめな思い」をしていたエリサベツから生まれさせて。

神様は無限の愛にあふれた方。

一方、天使ガブリエルは、半年後に少女マリアの前に現れます。
そして、彼女に告げたのです。

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」

マリアにも、生まれる子供につける名前を告げています。

「イエス」

「イエス」には、「神様が救って下さる」という意味があります。

人は、自分の自己中心(罪)によってはまり込んだ泥沼から自力で出ることはできません。

神様の「救い:イエス」がなければみじめさの泥沼から救われることはなかったのです。

神様から一方的に届けられた「救い」・・・
無限無条件のとてつもなく大きな愛。

それが、イエス・キリスト。

イエス・キリストは、あなたの救いのために生まれ、生き、殺され、復活され、今、無限の愛と権威を携えてあなたと共に生きておられます。

この方と共に「神の国」がひろがります。