旧約聖書 申命記 5章19節
「盗んではならない。」

人に命を与えて下さった神様の求めておられること。

どうして、人は「盗む」のでしょう?

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。 」(ヤコブの手紙 4章1~3節)

「あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。」・・・

まさにその通り。
そうやって世界中でたくさんの人が殺されています。

「殺す」まではいかなくても、「盗む」。

「得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」

生きるために必要な最低のモノがなくて死んでいる人たちがいる一方で、必用でもないもののために盗んだり、殺したりする人たちがたくさん・・・

何かを「盗む」ためには、盗まれる相手の気持ちや被害について無感覚になる必要があるでしょう。

人は、神様の息吹を入れられて「生きるもの」となりました。
人の中には神様の息(霊)が生きています。

神様は“愛”。
人の中に入れられた霊(息)は“愛”。

神様の“愛”は、無限に無条件に命を大切にしていきます。

一方、「盗む」ことは、盗まれる人を「傷つける:大切にしない」こと。

「盗む」行為と“愛”は同居できません。

人の内にある霊は矛盾の中で苦しむことになります。

「盗人にくみする者は自分の魂を憎む者。呪いが聞こえても黙っている。」(箴言29章24節)と書かれている通り。

「盗む」ことをすれば、自分の霊が悲鳴をあげます。

時間、労力、金品、善意・・・
なんであれ、盗んでいれば、心がチクチクしているはず。

やめましょう。
そして、イエス・キリストのことばに従って平安の内に生きていきましょう。

「自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。」(ルカによる福音書 12章33節)

みんな神様の宝物ばかり。
分かち合い、支え合って一緒に、安心して、生きていきましょう。