旧約聖書 申命記 5章17節
「殺してはならない。」

神様は、イスラエルの民を奴隷の苦しみから救い出した後、ご自分がどんな存在なのか民に教えられました。
ご自分が何を人間に求めているのか教えてくださいました。

「殺してはならない。」

分かりやすいですね。

誤解しようのない言葉。

「殺してはならない。」

「ただし、~の場合は殺しても仕方がない。」というような言葉はどこにもありません。

あらゆる命は神様によって創造されました。
すべての命が愛されています。

殺されてかまわない命は一つもありません。

では、どうして世の中に殺人があるのでしょう?
旧約聖書の中に、神様が殺人を容認されているような記事があるのでしょう?

聖書全体を通しての神様のメッセージはシンプル。

「人(あなた)は神の宝物。だから、宝物としてあらゆる命を大切にして生きよ!」

ところが、人は神様(愛)よりも自己中心的な思いを優先してきました。
そして「殺人」が起こりました。
それはいつの間にか「必要悪」として人間社会で認められるようになってしまいました。

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。 」(ヤコブの手紙 4章1~3節)と書かれている通り。

神様の想いは全くブレていません。
それを知らせるためにイエス・キリストが来られました。

イエス・キリストは、誰一人傷つけることはありませんでした。
ブレることのない「神様の無限無条件の愛」だけで生き抜かれ、殺されてしまいました。
「神様の無限無条件の愛」はイエスと一緒に葬られたはずでした。

しかし、「神様の無限無条件の愛」はイエスと共に復活し、あらゆる人を救い続けているのです。

「殺してはならない。」

自分もまわりの命も「殺してはならない」。

神様のメッセージに全くブレがないことを、イエス・キリストが命がけで現わしてくださいました。

「人(あなた)は神の宝。だから、宝物として、あらゆる命を大切にして生きよ!」

人間の都合の良い解釈にブレさせられず、神様の想いをまっすぐに生きていきましょう。

あなたも、あなたのまわりの命も“全くブレることのない永遠の愛”で愛されていますから。