新約聖書 使徒言行録 2章1~11節
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』」

イエス・キリストが処刑されてから50日。

弟子たちは復活させられたイエス・キリストに会っていました。
絶望状態から救い出され、励まされ、あらためて歩みださせられていました。
そんな40日があっという間に過ぎ、イエス・キリストは弟子たちの見ている前で天に上げられていきました。
そして1週間・・・

弟子たちは一軒の家に集まって祈っていました。
その時、大きな音と共に炎のような舌が現れ、弟子たちの上にとどまりました。
すると、弟子たちは「話したこともない他国の言葉で話し始めた」のです。
ところが、エルサレムには、弟子たちの話している言葉を理解できる人たちが集まってきていました。
諸外国から神様に礼拝をささげるために集まってきていた人たち、外国人たち。
彼らにとって、弟子たちの話す「外国語」は、「慣れ親しんできた自分の国のことば」でした。

ビックリです。

そして、さらに驚かされたのは、弟子たちの話していた内容。

「わたしたちの言葉で神の偉大な業(わざ:お働き)を語っているのを聞こうとは!」

聖霊(神様の霊)は、弟子たちの舌を用いて“神様の偉大な業”をエルサレム中の人々に伝えておられたのです。

“神様の偉大な業”ってどんなことでしょう?

聖霊に満たされた人たちがどうなっていったのかを見れば分かります。

「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(43~47節)

持っているものを持ってない人たちと分けたくなり、一緒にご飯を食べたくなり、お互いの必要を何とか負い合いたいと思うようにされていったのです。

神様(無限無条件の愛)が人々の中におられました。

聖霊に満たされると神の国が実現します。
人をとてもとても大切に思わされるのです。

どうしてって、
みんな神様のかけがえのない宝物ですから。

どんなに欠点や問題を抱えていたとしても、宝物。
人は、お互いのゆるし、うけいれ、励まし、助けによってこそ宝物として生きられる存在。

すべての人が聖霊に満たされ、お互いを大切にして生きられますように。