新約聖書 マタイによる福音書 6章19~21節
「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

イエス・キリストのことば。

「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

イエス・キリストの生き方はそのメッセージの実践そのもの!

イエス・キリストは、全くブレることのなく神様のメッセージを伝えぬいて下さいました。

「あなたは神の宝。だから、宝物として生きよ!」

関わるあらゆる人と誠実に真剣に向き合いました。
「人が神様の宝物として歩みだすこと」だけがイエスの望み。

私たちは、愛されるために、宝物として生きるために命を与えられています。
それ以上に大切なことなんてありません。

とか書きながら、長い間私には、「人(妻やこどもたち)が宝物として生きられること」よりも大切なもの(こと)がたくさんありました。

自分の考えや感覚の方が大切だったので、怒鳴ったり殴ったり蹴ったり…

子供たちは「自分は宝物」だなんてほとんど感じられずに成長してしまいました。
彼らが少しでも本来のアイデンティティー(神様の宝物)を自覚できるために何ができるのか…
神様に聞きながら進んでいるところです。

今、わたしにとって、みんなが神様の宝物として生きられるようになることが一番になりました。
失敗をたくさんしますが、わたしの想いはいつもそこに帰りつきます。

それ以外のことは、「ま、いっか…」と思えるようになってきました。

モノやプライドから解放されると、随分と楽に生きられるようになってきました。

「天に宝を」というのは、現実に天国で貯金が増えている… というようなことではありません。
それなら、行ってみたら「天国」には貧富の差があった… というシャレにもならない話になってしまいます。
そんなところは決して「天国」ではありえません。

イエス・キリストのメッセージに賭けて「愛」を大切にして生きる時、心はこの世のあらゆる束縛から解放されていきます。
そして、確かに自分のまわりに「神の国(愛の支配)」が拡がっているのを体験していけます。

失敗はしてしまいます。
でも、そのたびに改めて顔を上げ、あらゆる人を宝物として大切にする方向に進んで行きましょう。

復活したイエス・キリストが必ず助け導いて下さいます。

神様から宝物として自分が愛され続けています。
宝物としてのプライドを持って生きていきましょう。